麻布台ヒルズで食事した後、泉屋博古館東京へ。

実は初めて来ました。グーグルマップにお世話になりながら滝汗

実家は京都ですが、京都の本館の方も行った事なし。

只今開催中の展示は
ライトアップ木島櫻谷
四季連作大屏風と沁みる「生写し」
 
ライトアップひらめき電球ってちょっと誤解をあたえるタイトル。
ピックアップみたいな意味なんだなと受け取りましたが。
なので館内は普通の照明ひらめき電球で展示されています。

 

入館料は千円。

昨今の展覧会の料金を考えるとお買い得の気がします。

ホールと屏風一点のみ撮影可カメラ

あいさつ文を要約して記します下矢印

    

木島櫻谷(1877-1936)は明治後期から

昭和前期にかけ京都画壇の俊英として活躍。

円山四条派の写生表現を基礎に琳派狩野派の表現などまで研究して完成させた 

「四季連作屏風」は、櫻谷の画業の画期と

なるもので、制作にあたって櫻谷は、

独特な色感の絵具を用い、顔料を厚く盛り

上げ、筆跡を立体的に残し油彩画のような

筆触にも挑戦しています。

 

一方、櫻谷はなにより動物画に秀で、

描かれた動物たちはリアルなだけでなく、

 折節にみせる表情がどこか人間的な感情を

溶かし込んだように生き生きと輝き、

観る者の心に沁みます。

そうした櫻谷のリアリティーの源は、

江戸時代中期(18世紀) 京都で活躍した

絵師・円山応挙によって編み出された

「生写し」(写生)という方法。

自然や事物を 生き生きとありのままに描く

写生表現は、近代にも大きな影響を与え、

櫻谷もその例外ではありませんが、ここでは親和的表現に特色の動物画に焦点をあて

応挙はじめ先人画家たちによる動物表現と

比較しながら櫻谷の特質をライトアップ

します。

櫻谷の絵の特質をライトアップ=焦点をあてると解釈。

 

上のあいさつ文にあった「四季連作屏風」とは、こちら下差し

残念ながら、撮影不可バツレッドですので、こちら上差しはネットより画像をお借りしています。
大正中期に大阪茶臼山に竣工した住友家本邸を飾ったもの。
美し過ぎて、ため息が出る空間でした。
 

 

唯一こちらの燕子花図の屏風のみ撮影可で、上差しこちら下差しは私が撮ったもの。

 

尾形光琳燕子花図屏風(根津美術館)より、こちらの方が好みかな。
 
以下、またネットより写真をお借りしております。(主に美術手帖)
左端の掛け軸の絵は丸山応挙の息子・丸山応瑞「牡丹孔雀図」
応挙並みの上手さなのに、全くその存在を知らなかった。
親が偉大過ぎて苦労しなかったかな?(余計なお世話?!)

右端が木島櫻谷「葡萄栗鼠」

めっちゃかわいいラブラブ

筆数が少なさそうにもかかわらず、しっぽのほわほわ感がうまい。

葡萄の木の枝?蔓?もいい感じ。

 

同じく櫻谷「秋野老狸」(しゅうやろうり)下差し

 

そういえば、先週、出勤する時、を見たんです!!

毛がボサボサの小動物が道路をヒョコヒョコと渡って行き

最初ネコ黒猫かと思ってましたが、顔が違う!!

日曜の大河ドラマ前の番組「ダーウィンがきた」で過去に

都会に住む狸の話を特集してましたが、

本当にこの辺りにも住んでるのだなと実感。

現代ならこの絵のような背景ではないということか?

 

タヌキの櫻谷と言われる程、を好んで描いたそう。

真ん中は「雪中孤鹿」(左)「秋野孤鹿」

奈良公園に行った時に聞いた「ピュ~」っという鹿の鳴き声を思い出しました。

 

上差し一番下は写生帖

櫻谷はいつも写生帖を持ち歩いていたとか。

そして動物の写生をしに京都市動物園によく通ってたらしい。

 

しかし衝撃的だったのは櫻谷の年譜を見ていて

亡くなったのは62才で、弟子たちと松茸狩りきのこに行って

枚方辺りで京阪電車に轢かれたとあったこと。

路面電車ではないよね?どうやって轢かれるんだか?飛び込んだ?

 

速水御舟が市電に轢かれ(下駄が挟まった)足を切断したのと

ガウディが躓いて笑い気づき路面電車に轢かれて亡くなったのを思い出してしまった。

 

 

この展覧会用の図録はなく、屏風の印象を忘れたくないので
四季屏風の図柄のお香をお土産に買いました。

 

 

泉屋博古館そばのはほぼほぼ見頃でした。

特にピンクの桜(河津桜?)が満開で

ここを通る人は皆、足を止め写真におさめてました。

 

こちら下差しの左手に泉屋博古館の入り口があります。
昨日の写真ですから、今日は満開になったかも?
残念ながら雨雨ですが。

 

 

木島櫻谷「柳桜図」

 

今現在、京都の木島櫻谷旧邸が一般公開されているようです。

残念ながら行けませんが。