日本の伝統的な美意識を、光と陰(闇)という視点で論じた名著と言われる
谷崎潤一郎の陰翳礼讃
前回は谷崎の言う陰翳の謎についてダラダラ と書きました。
今日は厠(トイレ)について
この本をお読みでない方はを見て頂くと、本の通り朗読してます。
読んでらっしゃる方も映像があるので、イメージしやすいかも。
こちら前記事から多用してますNHKの番組「ETV特集 陰翳礼讃」です。
映像にするのが難しい闇やかげ(陰・翳)が上手く撮れていました。
残念ながら厠の部分しかyoutubeにないのですが。
どうも直接クリックして見られないようですので、こちら
からお願いします。
この厠の話を読む(聞く?)と、母の実家が思い出されます。
どんなトイレ(厠)だったかというと・・・
以下自分語りダラダラ
と
滋賀県のある村で代々庄屋だった母の実家は田舎だけあって広かった。
母は8人兄弟。
大勢のいとこが私にはいた。
お盆毎に帰省したが、集まると大変な人数
でも全員ちゃんと寝るところがあり(今思うと長男の嫁である叔母は大変だったろう)
沢山のいとこ達と鬼ごっこができる家だった。
2階へ上がる階段は南側、北側と二つあり、追い詰められることはなく逃げ切れる
庭は日本庭園風。石灯籠や大きな石がたくさんあった覚えが。
池はなかった。
2階は漆喰の白壁の洋間。
レリーフありマントルピースあり。
その隣の部屋は12畳くらいの畳の部屋でアンバランスw
トイレ(というか便所という言葉が合う)は先に書いた
二つある階段のうち北側、上り口の目の前にあり、1畳半位あったか?
板張りの真ん中に長方形の穴が開いていて、
しゃがむ時、両足を置く場所にはレンガよりちょっと大きめの
茶色い硯のような石が。
金かくしはついていた。
(男性用便器は別にあった)
長方形の穴の下は深~い闇
下を見るとおっかなく、妹は母について来てもらわないと用が足せなかった。
トイレの下に落ちた夢を見たとかでギャーギャー
言ってた覚えが。
トイレの窓からは外の庭を見る事ができた。
ガラス窓なんかではなく、格子状のもの。
長方形の穴と足置き場(?)とちり紙が入った入れ物がしゃがむ手前に。
広い(子供だったのでそう思ったのかも)割にシンプルな、そして静かな暗い場所。
自分の体験の中で、谷崎が言う厠に一番近いのはこのトイレ。
暗くて寒い・・・
のビデオ
&谷崎が書くような外のトイレではなかったが、
このトイレを思い出してしまう。
この母の実家には外にも一つ便所はあった。
(母屋に対する)はなれの横にあるトイレ。
家のすぐ裏手にある畑で仕事する時のトイレで、昔の汚い公衆トイレという感じ。
(今の公衆トイレはきれいですね)
場所的にはこちらが谷崎のいう厠に近いだろうが、なんせ汚いし、
はなれで滋賀県名物ふなずしを作っていたものだから、
その臭いの方が便所の臭いより強烈だった
そして谷崎の言う蚊の呻りだか羽虫の呻りだかがもし聞こえたならば、
用を足している間に、むき出しにしているどこかを喰われていただろう。
ただ、こちらの便所はしゃがんだ場所のすぐ下が深い闇ではなかった為、
落ちるという恐れは全くなかった。
しかし、深い闇でないという事は、自分の出したモノや溜まったモノが
見えるという事。
これが谷崎の美意識に反しているだろう。
話は先程の母屋の北側の便所に戻る。
外に出ていく事はないけれど、広い家の中でこの場所にわざわざ行くと
いう行為は、気分が変わるのかもしれない。
そして中学の時の国語の先生が授業の話の延長で言っていたが、
用を足す時は意外とへらへらしていては出来ない、皆真剣な顔を
しているのではないかと言っていたのを思い出す。
そう考えると、谷崎の言っていることもわからなくもない。
気分転換、(排泄行為に)集中、静寂、闇が汚物を隠す
しかし・・・
祖父はこの場所で脳梗塞になり、病院に運ばれた後、亡くなった。
寒い場所でいきんでたのがいけなかったのか
なのでやっぱりここは暗くて寒い場所の印象しかない、私にとっては。
その後、この家は母の一番上の兄(私の叔父)の家になったので、
母ですら遠慮して行かなくなり、私も祖父の葬式の時以来、
この家には行っていない。
叔父はその後、改築・リフォームしたらしいので、もうあの便所はないだろう。
叔父も3年前亡くなったが。
最後までお読み下さった方、ありがとうございました。
で、タイトルが①って事は、まだ続けるつもりなのですが