6月9日放送のMBSラジオ「ヤングタウン日曜日」(日曜後10・00)に出演。とある披露宴での出来事を伝えた。
鶴瓶は「絶対笑ったらアカンで思い出したけど…」と切り出し、“偉い人”がスピーチする中、隣の席だった歌手のさだまさしと鶴瓶がクスクス笑いをしていたところ、同じテーブルだった小田和正から「やめろ!まさし、鶴瓶、何笑ってんだ!」と怒られたという。
共演者から「すごい結婚式ですね、それ」とメンツに驚かれると、鶴瓶は「ゆずの北川悠仁とアヤパン(高島彩)の結婚式やったわ」と打ち明けた。
しかしその後、狂言の謡(うたい)で節が盛り上がってくると、今度は小田自身が笑いをこらえる事態に。察した鶴瓶がつつくと、小田は歯を食いしばりながら小声で「嫌われてもイイッ!」と叫んでいたと明かし、笑いを誘った。
オフコースは最初、小田さん、鈴木さん(鈴木康博)の二人組だったんですよ。大先輩だし、憧れていました。グレープの頃、オフコースと一緒に北海道でツアーを廻ったことがあるんです。オフコースの二人はギターも歌も上手くて、とにかく最高で、僕たちも彼らのライブを観るのが楽しみでした。当時、オフコースにはまだヒット曲がなかったんです。グレープには「精霊流し」というヒット曲があったから、小田さんたちは頑として譲らず、「俺たちが先に歌う」と。あの二人が先に演奏すると、グレープは辛かったですねぇ。あとはもう笑いを取るしかない。
崇拝しかないですね。当時の事務所の大先輩が赤い鳥だったんですけど、赤い鳥とオフコースは、『第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』(1969年)の1位と2位なんです。関西地区で赤い鳥と1位を争ったバンドのドラムが村上"ポンタ"秀一さんだったり、とにかくすごい先輩たちなんです。小田さんの前に行くと、いまだにどこか緊張しますね。年上の方を呼び捨てするのは、泉谷しげると笑福亭鶴瓶だけなんで(笑)。
泉谷さんを「泉谷!」と呼ぶのは、ステージの上で盛り上がったときだけですけどね。鶴瓶はずっと「鶴瓶」です(笑)。鶴瓶はね、グレープのファンだったんですよ。彼がまだ売れていない頃、僕にファンレターをくれたんです。コンサートで名古屋に行ったとき、飲んで帰ってきたら、ホテルのフロントに鶴瓶が手紙を置いていて。それを受け取って「どういう人?」って聞いたら、「落語家なんですけど、『ミッドナイト東海』という深夜番組で名古屋に来てるんですよ」と。まだ放送している時間だったから、タクシーで東海ラジオに行って、番組に押しかけたんですよ。そのときから仲良くなったんだけど、まあ、いい時代でしたね。
小田和正や笑福亭鶴瓶との関係性も
👇🏻(2020年記事)![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/021.png)