母が2月29日に永眠しました。
最後まで立派に生き抜いた母の記録を残しておきたいと思います。


母が永眠する前の週末…
土曜日にはお風呂に入れてもらって、とってもスッキリして、良い顔をしていた母。
どんな時も母を清潔な状態に保ってくださったニチイホームのスタッフの皆様のプロフェッショナルなお仕事に感謝の気持ちでいっぱいです。

喋れる時とジェスチャーの時、ひらがな表の指さしで会話する時と…日々山がある母との毎日。
もう水分もほとんど取れなくなり…
でも頭はクリアで…
夫と訪れた日は少し喋れて…
「死にたい」と口にするので…
夫と口を揃えて「死にたいって言う人は死なない!」と泣きそうになりながら突っ込む…

頭がクリアだから自分の体の衰えも感じるので…
父の時もそうだったのだけど…
死が近づいている恐怖と戦っていると思うと…
何か楽にしてあげることはできないかと頭を悩ます。


母が好きなクラシック音楽などをBGMでかけたりしてる。
そんな中、日曜日には兄と叔母が来てくれて、この日は朝から奇跡のように良く喋った。
私が朝部屋に行くと「あなたの顔が見たかったのよ」とハッキリと喋った母。
兄や叔母が来てくれたのを喜びながらも再び「辛いの死にたいの」と言う母。
自分の腕を眺めて「もうガリガリ」と呟く…
何も良い返しが思い浮かばなかった。




何か楽しくなるような話題はないものか…
頭を捻って思い出したのが…
母は東京女子大を卒業した後に東京大学文学部西洋史の研究室で働いていて、そこで学生だった父にも出会ったのだけど…
この時代女子学生は多分いなかった東京大学で真面目な文学少女だった母にモテ期が訪れる。
私が高校生の時に押し入れの中に母への複数の方からの恋文らしきものがダンボールいっぱいに詰まっているのを見つけました。
その恋文は「さすが東大生!」とうなる…純文学のように美しい文章…
思わず一日中夢中になって読んでいた記憶があります。

そしてこの施設に入った時に突然母が私に
「実はね私ね財閥系の方から求婚されていたの」
「2人で奨学金返しながら慎ましく暮らしたけれど…こんな良い施設に入れて今はパパで良かったと思う」と告白する。
思わず「え!なんでその人を選ばなかったの!」と(その方だと私が生まれてなかったことも考えずに聞いてみたら…)
「お父様は銀行家で…そんな家柄に嫁いだら苦労すると思ったから」と答えてくれた。

この2年間その人のことがとても気になっていて叔母に聞いてみたら「知ってる!知ってる〇〇さんね!後に〇〇○○社の社長さんになったのよ!」とびっくり情報が!
日本国民ほぼ全員が知っている企業だ!
思わずネットで検索すると…流石大企業の社長さんだけあってウキペディアをはじめたくさんの情報がヒットする!
そして10年前に他界されているのもわかった…
母に「ママが求婚されたのって〇〇○さん?」とiPadでその方の画像を見せながら聞いたら頷き「でも亡くなられたの」と答える母…
そして叔母が「そういえば一橋の〇〇さんにも求婚されたじゃない!」と言うので思わず母に「モテモテじゃん」と言ったら少し微笑んだ。
ちなみに父は母と10歳以上歳の離れた子供だった叔母を手なづける作戦を成功させたらしい。




父をはじめ母が青春時代ご一緒した方々が母を待っていてくれると思うと少し心が軽くなりました。