これから日本で働く者には、「失敗をおそれない挑戦」と「失敗に見切りをつける勇気」が求められるようになるのではないだろうか。


世界経済の構造的変化の中で、日本はこれまでのように国際社会の中で経済先進国としての地位を保っていくことは難しい。その中で、日本の国家・社会レベルでの戦略・方向性に関する議論が今求められている。しかし、日本を全体的・構造的にどう変化させるか、に対して明確な戦略を示すことは難しく、それができる人物はいないのではないだろうか。                                   


日本を完全なグローバル社会(アメリカ社会)にするという方向性は確かに最近の流れとしては顕著ではあるが、それではそうした場合に、これまでの伝統的な日本社会から何が失われるか、に対して言及されることは少ない。何も失わずに変革することはできない。もし、この「流れ」のまま日本が変革されれば、変わった後に「何か大切なものを失ってしまった」ということに気づく事態になるだろう。そうなった場合には、もう取り返しはつかない。

また、日本のアイデンティティー、自分達の立ち位置に立たずに、単なる外国礼賛、アメリカ礼賛では、日本人が自信を持つことはできないし、競争の面を考えても、日本は「現時点においてアメリカに相当な遅れをとった国」ということになる。


それでは、このまま「日本は何も変えない」という選択はありえるのか。しかし、これまでの伝統的な日本になにかしらの問題があるからこそ、これまでに日本ではやっていくのが難しいと判断されているからこそ、変革が求められているのである。例えば、企業の問題を考えれば、日本の企業の不祥事が明らかになるにつれ、日本の「閉ざされた組織文化」が否定され、経営の透明性というものが求められている。「何も変えない」という選択は何の問題解決にならない。


グローバル化の波に完全に逆らい、日本が「鎖国」することは一つ方向性としては考えられるかもしれないが、今の現実社会を考えれば、そのような思い切った政策に踏み込むことは考えにくい。


 日本が多少なりともグローバル化しなければならないと考えた時に、具体的に日本の「どこを変え、どこを残すか」を全体的な視野で明確なビジョンで打ち出し、そのビジョンの基に計画を実行し、中央で統制することができる政府、政党、人物はいるのか。いないのではないだろいうか。各地域、各組織、各人が、探り探りでやっていく中で見つける他ないような気がする。その中で求められる姿勢というのが「失敗をおそれない挑戦」と「失敗に見切りをつける勇気」だと私は考える。


 まず、「変革期」に「失敗をおそれない挑戦」が求められるのは言うまでもない。特に気をつけたいのは、後者の「失敗に見切りをつける勇気」である。「失敗をおそれない挑戦」を推奨すれば、「失敗」は基本的には増えるだろう。これまで「失敗」は恥であるとして「挑戦」が避けられる風潮にあった日本社会では、なかなか自分の「失敗」を認めることは難しい。しかし「失敗」の判断が遅れれば遅れるほど、とり返しのない事態に陥る可能性がそれほど高くなる。「失敗」の判断力と、「失敗」をした際に元に戻るスピードがこれから求められるようになるのではないだろうか。