■一人慰めを見られて
勘左衛門の養女となった『お伝』は近所でも評判の美人となり評判の子でした。武士の血を引いていたためか、頭もよく、どこか品のある顔立ちをしていました。14才の時に『宮下要次郎』と言う男との婚姻がきまり一緒になります。しかし相性が悪くて、3ケ月で離婚してしまいました。
お伝の要求が激し過ぎたのではと噂されますが、実際は判りません。しかし母の遺伝でしょうか、魔性の女の芽生えでしょうか、いつの間にか男なしではがまんできない身体になっていたことは事実のようです。例えば、横浜の生糸商人『小沢伊平』に口説かれて、旅逗留の間だけお金で愛人契約を結んだりして割り切った関係のHをしたりしていたそうです。可愛い顔をしていたので、いい寄る男が多かったのです。お伝も身持ちのよい女ではなかったので手当たり次第みたくして、男を漁ってました。この頃知り合ったのが『高橋浪之助』と言う男でした。色白の二枚目と言われ、お伝好みの男でしたから、すぐ同棲生活を始めました。お伝は、昔から面食いだったので、イケメンには弱かったのです。夫婦仲はよかったのですが、16才の時に浪之助がハンセン病にかかったため当時、名医がいると言う横浜に行くため故郷の群馬県を後にします。この時、身を寄せていたのが義姉の家でした。病人を看病しながら、生計をたてるために金になる異人相手の娼婦となります。当時は、華族の娘でも娼婦になるような時代でしたから、珍しいことではなかったのです。
しかし、こんなに苦労して尽くした夫も1年あまりで死亡してしてしまいます。
この時、身を寄せていた義姉もやがて原因不明で死んでしまいます。(お伝と、義姉の旦那が共謀毒殺したとの説があります)義姉の死後、この主人の『後藤吉蔵』が一人身になったお伝に言い寄り、毎夜しつこく身体を求めてくるようになりました。きっかけは、お伝が肌寂しさに一人慰めていた時、淫らな声を聞いた義姉の主人が、全裸で部屋に入ってきてお伝を犯したことからでした。
しかし、吉蔵は本心から好きな男ではなかったよです。夜のほうも、女を満足させてくれない自分身勝手な営みでした。そういう関係に、嫌気をさしていた頃、偶然知り合ったのが『小川市太郎』という色男でした。二枚目の役者顔に一目でぞっこん惚れてしまいます。
当時、市太郎は義母と同居していたのですが(この義母とは身体の関係があったそうです)、お伝に乗り換えを考えて、ジャマな義母を殺し床下に埋めてお伝を迎えたそうです。そんな男でしたから、そうとうの悪人でした。その上、三日に明けず酒と博打にうつつを抜かすヤクザ男でした。それでも、惚れた弱みで情婦として離れることができなかったのです。(次回に続く)