■宿曜秘法で


孝謙天皇(こうけんてんのう)は718年~770年まで活躍した第46代目の天皇で史上6番目の女帝です。
当時の女帝は一生結婚することが許されない独身であったため、皇后や側室のいる男の天皇と違い
女としては寂しい人生を過ごしていました。でも、
従兄の藤原仲麻呂とできちゃうみたいな噂はあったみたいです。孝謙天皇は歴代の女帝では綺麗な顔立ちで目が大きな人だったそうです。歴史的には、次の男天皇が出るまでのリリーフみたいな立場でしたが、藤原勢力との攻防などもあり難しい時代でしたが優れた政治を勤めました。
孝謙天皇が43才の時に病に伏せていた時に、熱心に看病してくれたのが弓削道鏡(ゆげのどうきょう)でした。

道鏡は若い時から梵語に精通していたため宮中の仏殿(内道場)に禅師として出入りしていた高僧でした。

鎌倉初期の説話集『古事談』によれば鼻の大きな痩せ型で長身な人物だったそうです。男前で、若い時からたくさんのお僧さんから可愛がられたそうです。


[公式]新説あぶな絵伝

また『宿曜占文経』裏書(高野山寺所蔵)によれば、道鏡は依頼により天皇の病を治すために、当初は加持祈祷を行っていましたが、天皇の病が寂しい故の病であることを見破り、言葉巧みに天皇に近づき、宿曜秘法(すくようひほう)や孔雀呪法を施し、洗脳しながらやがて天皇と濃密な関係になっていったそうです。

当時、孝謙天皇は43才でした。中年の熟女が性に目覚めるって想像できませんが、女の子の性欲が一番激しい時期ですから、その凄さは計り知れないものがあったと理解できます。
その激しい欲望を鎮める男の子もそれなりの力量が求められることは当然で、60才の道鏡は見事にその任務に応えたわけです。江戸期の学者の説では、道鏡のアレは1尺もあり(平安期の尺は今より短く約26cm)カレはこれを武器に数百人の女をたぶらかせたと言います。

江戸川柳で『道鏡は 座ると膝が 三つでき』と詠まれたほどです。(次回に続く)


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