絶対仕事辞めるマンさんって知ってますか?
なんでも、FIREという言葉が無かった頃、2003年4月1日にブラック企業に入社した日に「1億貯めて仕事を辞める」と決意し、壮絶な節約生活の元、このたび億り人になった、ということです。
twitter(X)もあります。文章が上手いです。
https://twitter.com/MaqwgNaJKDOnxGb
色々と失うものも多かったと思いますが、これも人生。素晴らしいです。
私は夫に寄生して生きてきたので、本当に尊敬します。私の人生こそゴミです。
絶対仕事辞めるマンさんの投稿やyoutubeをみて、氷河期当時のことを思い出したので書いてみようと思います。
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私はハードすぎた正社員の仕事を辞めて、派遣の仕事をしていました。
私の部署はマンション管理の仕事だったのですが、隣の部署が不動産部門でした。
当時は誰でも知ってる会社でしたが、そういえば最近はあまり名前を聞きません。
ググってみたところ、ちょうど私が派遣で働いていた時期は会社がとても苦しい時期だったらしいです。
私たちのいる部署は平和でしたが、お隣の不動産販促部署には、
目標!今月〇〇戸達成!!
という弾幕が貼られ、係ごとに担当エリアが決まっているようでした。
その係長が、ものすごい威圧的で、
4時頃に外回りから帰ってくる社員が契約を取れなかったとわかると、ずっと罵倒してました。毎日。
パワハラという言葉がまだ無かった時代です。
ある日、ものすごい雪が降って、
私はかなり早く家を出たのと、電車運がよく、開始時間に会社に着きました。
一方、雪のためにお隣の部署の社員が遅刻してきました。30分くらい。
すると、パワハラ上司(定時に出社)が、遅刻してきた社員を恫喝しだしました。
「雪が降ってるんだから、間に合うように早く出るべきだ!!」ということを、怒号とともに、2時間くらい説教してました。
今思えば、社員も逆ギレすれば良かったのでは?と思いますが、なんかそういうのが許されていた感じです。
たぶん、会社の上層部からパワハラしろと指令が出てたんだと思います。
どの係もパワハラでしたから。。
私の部署は平和でしたが、そのうち暖房を切ったり、電気を半分だけ点けたりと、明らかに節約してる感じになってきました。
そして、派遣切りが始まりました。
派遣が多い部署だったんですが、少しづつ派遣の人が切られはじめ、とうとう私も切られました。派遣社員はゼロになりました。
最後の方には、ついに明かりの電気は全部切られて、曇りの日は暗くて窓際にいって資料をみたりするレベルにまでなっていたので仕方なかったですね。。
派遣切りをされるのって、やはりすごく嫌な気持ちになったものです。
自分はいらない、役立たずだ、と言われた気分で、とても傷つきました。
思えば、ハードすぎた正社員、使い捨てされた派遣社員と、「自分が無能だ」と自分に刷り込んだのは、子育て前のこの時期に育まれたものかもしれません。
調べてみたところ、ちょうど私が派遣切りにあった翌年くらいに会社は産業再生機構の支援を受けたようです。
絶対会社辞めるマンさんは、あの過酷な時代を生き抜いたのですね。。当時は本当に日本はひどかったと思います。
派遣村とかもありましたね。
なんだかんだいって、今は割と仕事はすぐに見つかるし、ホワイトだし、
半導体工場がバンバン建って、
街は外国人を含め、どこにいっても大混雑で
気づけば意外と好景気??なのかもしれませんね。