会報着た! | サランヘ ピダム(ナムギル)日記

サランヘ ピダム(ナムギル)日記

もはや韓流はライフワーク!k-popも!

キム・ナムギル君とコン・ユ君に癒される日々を送っております♪

ご無沙汰しておりましたあせる 一週間ほど夏風邪ダウンだったりもしましたが、今は完全復活しておりますうん

常々の韓ドラ鑑賞に加え、高校野球やオリンピックまで のべつ幕なしに、いつもTVがついている我が家ですねこあせあせ

SMAPもやっぱり修復不可能だったんやねぇ、ファンというわけではないけど やじるし寂しい気持ちの中うっ。


着た~~ビックリマーク image

イベントの写真は まぁ想像通りあはは・・・ 「来日日記」は私たちの愛の差し入れなんかも写ってて テンションうえ

「ちょこっとGIL情報」のゲームセンター話は笑った♥akn♥行ったんだポン6 太鼓たたきに太鼓 

そういえば赤と黒のロケ地になってたココパリゾートの支配人さんの話でも眼鏡君

毎日のようにゲームコーナーに居てたと言ってたなぁぷぷッ(笑) 好きなんやね マジでわらい


30問のQ&Aはよかったにひひ、ここでも自分へのご褒美はPS4のゲームだったな爆


会報にも「殺人者の記憶法」は今年下半期封切りってなってたねぇ、いつなんだろうか顔文字



そんな中、男前様は ニュースになったりして猫・にやっ
↓ホンヤッキーなのでへんてこな文章悔しい満載ですミアネ

"名前の値段を利用するのが嫌いだ"という俳優、NGO代表という'道'に立った
"着実に、そして静かに道上に立つこと"..NGOで代表で会った俳優キム・ナムギル 


キム・ナムギル(35)という俳優が大衆に名前を知らせたことは2009年MBC大河ドラマ《善徳女王》中‘ピダム’というキャラクターのおかげだった。 このドラマで一躍スター隊列に上ったこの俳優はドラマ放映終了直後通常の‘スター’らとは少し違った歩みを見せた。 2009年末ドキュメンタリー《アマゾンの涙》にナレーションで参加して翌年1月には強震と津波で廃虚になったインドネシアに救護活動を離れた。 芸能人がカメラ数十台を付けて海外奉仕を離れる事例はその前にも多かった。 当時キム・ナムギルもやはり‘まあまあである’スターのうち1人と見えただけだった。


それから6年後ソウル、清潭洞(チョンダムドン)あるカフェで彼と向かい合って座った。 かるく180cm以上に見えるすらりとした背丈に‘今年ブラック’で合わせて現れた彼はこれ以上‘まあまあである’スターではなかった。 相変らず粘り強く作品活動をしている‘俳優’であると同時に‘NGO代表’で活動していた。 彼は2013年文化芸術NGO ‘道ストーリー’を設立した。 2010年以後何回海外救護活動を経験した後‘より持続可能な社会貢献活動’を悩んだあげく設立した団体だ。
“普段トレーニング ポンマン着て通うのに写真を取るとして久々に服も着飾って頭もして出てきた”というキム・ナムギル代表はスクリーンの中多少暗くて真剣に見えたイメージとは違い軽快で率直だった。 事前質問紙を送ったが“私が分かる線で答える”としてどんな答案もあらかじめ準備してこなかったという彼はインタビューずっと一言いった節考え終わりに吐きだした。 演技ぐらい自身が代表であるこのNGOに対する愛情が格別に見えた。


NGOを設立したという話を聞いて怪しげだった. 元々社会運動に関心が高かったか.
基本的に ‘もろともに一緒によく食べて寝る暮すこと'に対して関心が高い. 今も NGO 代表としてその方法を捜すことが一番窮極的な目標でもある. 無名時代から友達に “後で私が顔が売れれば人々たくさん助けて暮す” そうだっただったよ. いざ私は真黒く忘れていた駄目押しだったが.
はじめから NGOを登録する計画はなかった. 実は芸能人の ‘名前値'を利用して何かをするというアイディア自体が好きではなかった. それが非営利団体的なことだか営利的なことだか. カメラで活動を盛り出すというの自体が ‘イベント性'で照らされたから極度に憚った. 私は演劇舞台で演技者活動を始めた. うちの家族もご飯飢えているのに人を助けるのが贅沢のように感じられた時期があった. あの時固まった考えがよほど長続きした. 海外奉仕もそうだ. ‘我が国にも大変な人が多いのに敢えて海外まで行ってボランティアをする必要があるか, 見せてくれるのに止むのではないか.' こんなつもりだった. それで公式的なボランティア活動は初めからしなかった.
初めてボランティア活動をしたことが 2010年インドネシア震害救護活動だか.
2010年 1月周辺勧誘によってインドネシアで救護活動を行くようになった. 実はちょっと衝撃的だった. 基本的な衣食住自体が解決がならないa環境だった. 当時に MBC カメラチームとともに行ったがカメラが入って来ていること自体が徐徐に不便に感じられた. こちら人々に何かを海州古字する真正性さえ疑われる感じがした. それで担当 PDと争った. あの時 PDがした言葉が “あなたが持った人気とそれによる影響力と言うのがあったら, もうちょっと良い方向で使うことができる. あなたの救護活動姿を映像に見せてくれたらあなたに関心を持った多いこれらの参加を導き出すことができること”と言うことだった. とにかくその時は‘ホット'した時だから(笑い). 考えが少し変わるようになったきっかけだった.


インドネシア救援活動の後、このような支援活動が、より体系的であってほしいという考えをした。私たちは、一回限りのにちょっと行って来るんだけど、いざ助けを受ける、そこの人々は...。傷になることもできると思った。残っている人たちの心の中虚しさや寂しさのような傷が大きくなると言えるだろうと思った。だから当時救援活動を一緒にした知人と「これからの日」について多くの話を交わした。今すぐのお金や物的支援も重要だが、もっと根本的なことは、「一人ではない」という信念を与えると考えた。どんな状況でも一人ではないという信念がある場合、またその信仰を見ることができている場合、より良いんじゃない。
芸能人としての影響力を良いところ書いて字NGOを設立したのだろうか。
私もそうだったが、韓国の人々は誰もが良いことをしようとする心の準備ができていると考えている。その心にどのように火をつけてくれるかの悩みをたくさんする。最初はむやみに知人数名私の家に一週間に一回集まって会議をした。 「どのように助けるか、誰を助けるか」ちょうど余りに途方もして見えるが嫌だった。そう少しずつ小さなことから始めようた。あえてメディアにも知らせなかった。私の影響力というのは、基本的に「ファンダム」である。だからファンを中心に寄付集め、ボランティア活動などを始めた。

募金活動をしてみると、自然に組織の必要性が台頭した。そうでなければ、個人名義でお金を送信する問題が発生したためである。最初はクラウドファンディングで資金調達している途中、透明性と持続可能性を念頭に置いてNGOを設立することになった。現在、私たちのサイトに入ると、寄付金の内訳からの領収書かまで全て公開している。
「道ストーリー」は、作家・画家・作曲家・写真家・ITプロフェッショナル・弁護士・会計士・翻訳など100人を超える様々な専門家がプロボノ(Probono・各分野の専門家が、社会的弱者を助ける活動)で活動中だ。なぜこのような方式を選択したか
高校生の時から演技者としてハンオムルだけ掘った。当然NGO運営について知っているところが全くない。代表としての道ストーリーで行われる多くの決定の最終決定を私がしているが、実際に運用面、特に法的な側面に入ると、私は知っていることがない。私は一人で良くしようとしてみると、社会貢献活動において限界にぶつかるようになる。専門家に助言を求め、彼らの助けを受けていた。
私は芸能人だから、私の影響力というのは人気に依存している。ところが、人気というのは持続しない。いつも公平である。上がっ祈り、下がっ祈って、いつも他の人に機会が与えられる。 20代の時することができる役割があり、30代の俳優ができる役割があり。また、しばらく後先輩ができる役割があり。幼い時はそれを知らなかった...。私の名前だけを持って団体を開始してみると、最終的に一人で背負って行くことができる距離が長くないだろうと思っていた。
「途方もないもの」「見せるためのもの」について拒否感が大きいようだ。
だから、元のインタビューにもならないしようとした(笑)。まだしっかりとしたこともなく、また良いことというのは目に見えてする必要はないではないか。 NGOを設立したのも「私、このようなものもある」こうするためではなく自分自身のために、一種の潔癖症である。私も時折寄付をされたましたが、寄付をするたびに、「私は出すが、お金がどこに行くのか」についての確信がなかった。私自身がこうだから私を見て寄付を送ってくる人もそのような苦しさが言えるだろうと思った。このような部分まで透明に公開しようとNGOを作ったのも大きい。道ストーリーを作りながら一番重要に思ってのいずれかが「この団体は、無条件に非宗教的非政治的でなければならない」という点だった。この部分においては自信がある。
良く言えば、社会批判的、悪く言えばすべてに疑問が多いようだ。
私は基本的に肯定的である。そのため、道ストーリーを通じて社会還元活動を継続することができるのではないだろうか(笑)。自己検閲はちょっと強くする方だ。芸能人たちがSNSに自分の考えをろ過せずに上げることも少し考えが違う。 SNSは危険にさらされることができると考えている。いずれにせよ、私たちの社会で俳優と多くの人々の耳目を集中させる職業だ。一言をする際にも、それがもたらす波及効果を考えるべきである。もちろん、間違ったことについて声を出すことは重要ですが、すべての問題についてズバリ、誰かへの配慮なしに自分の考えを話しているのは違うと思う。今、私は言葉が誰かに見せるためのか、それとも静かに私の考えであることを自ら判断しなければならない。最も重要なのは、他の人がどのように見るかではなく、私の話が果たして合っだ。


ソウル、漢陽都城(ハニャントソン)10人10色? プロジェクトのために現場撮影中であるキム・ナムギル代表.(上の写真)の下写真は彼が代表であるNGO '道ストーリー'のフィリピン救護活動姿を現わしている。 (c)道ストーリー提供


再び社会貢献の話に戻ると、「道ストーリー」は、海外救援活動のために寄付を集めるのが主な活動は、ないじゃないか。
現在の道ストーリーが進行中の活動は、大きく5つだ。ストーリーファンディング<私たちが作る文化遺産、漢陽都城>、市民参加キャンペーン<ソウル漢陽都城10人10色>、文化芸術のキャンペーン<道を読んでくれる男性>シリーズ、文化芸術のキャンペーン、そして災害救助キャンペーンである。今年の初めまでは<道を読んでくれる男性>シリーズに集中した。ソウル城北と北村の「道」を見つけて、そこに込められた人と空間の話を聞かせてくれるのだ。音声ファイルや映像、そして写真を使用して「道」に込められた時代。歴史的な意味を込めて出そうとした。
良いことというのは、今すぐ寄付してお金で何をして、このようなことだけではない見る。もちろん、お金というのは、資本主義の時代に最も強力で効果は速い順しれませんが。いつも「根本的なもの」について考えている。私は考えている根本的価値とは、最終的に「人間性」である。 「道」とは、素材は、そのような面で多岐考えるポイントを投げてくれる。長さというのは一人が歩いている道一方、複数の人が通って通って形成してきた道でもあります。また、単純に、私たちは歩くの長さではなく、方向性の問題であることもできる。 「road」ではなく「way」であるわけだ。
[完了]私の名前に「道」が含まれていないか(笑)。今後、「キム・ナムギルがするNGO」としての道ストーリーではなく、「道をテーマに良いことたくさんするNGOがあり、キム・ナムギルがそこに所属しているよ」このような評価を聞く団体に立てていきたい。着実に道の上に上がってたい。大きな欲心ではなくわずかに。元記事



おーけーギルストーリーもリニューアルして、ギルも頑張ってるんやねぇぐー

ちょっくら のぞいてこようかしらあはは… じつはまだ新しくなってから一度ものぞいてなかったりするの・・・

ごめんあそばせ~~~~くま


おしまい