うちの学校は、いじめとかない感じでした。

小学校でいじめが横行していたので、それは本当によかった。
受験して入った学校だし、いじめとかそんなしょーもないことする人おらんのやろなー、と思ってた。
のちにその考えは間違いだったことを知るのですが、この頃はそう思ってました。

それでも、多感なお年頃なので、色々はあったし、主張の強い子も多かったと思う。
オタク系の子も多かったけど。

そんなわけで3年生の時に陰口を知った私。
なんでなのか分からず、運動会前日に耐えられな
くなり泣いてしまった。

すると。

クラスメイトが、『どうしたの?』と寄ってきてくれて、話を聞いてくれた。

私が訳を話すと、違うよー、みんとのことじゃないよ!と…


結局、目立つことになった女子たちに対して面白くないから、あいつら偉そうにしやがって、的な陰口で当たってたんだけど、同じように中心グループの中に図らずも入ってしまった私は、入ってないらしい。


ホッとした反面、結局何が気に入らなかったのか、よく分からないままだった。

その子たちと一緒に行動したのは短い期間だったけど、別に嫌なところなかったし、今まで接したことがあまりなかった子たちと仲良くなれて嬉しかった、くらい。

とにかく私はクラスの中で攻撃される側には入らずに済んだようだった。

地味で目立たず、男子と話せない性格が、逆に役に立ったのかもキョロキョロ

その女子の歪みも、運動会が終われば終息し、穏やかな受験生生活になっていった。

そのクラスは何かあったのはその時くらいで、1年間通してみるととても穏やかでいいクラスだったと思う。

中学3年間を思い返しても、自分のコンプレックスと母との関係が主な悩みで、友だちとも色々ありながらも平和には暮らしてた。


でも中学1年の冬に大きな出来事があった。


阪神淡路大震災メラメラ


私は幸い、家も家財もほとんど何もなくて、時計が倒れたくらい。
だから普通に学校に行こうとバスに乗った。
でも、周りを見渡せば友だち1人いない。
あれ?


兵庫県の子たちは、ガス、水道も止まり、大変だった。
学校の先輩も1人亡くなった。
学校もひび割れだらけで、危なくてしばらく休校。

だったのだ。

家に帰ってから、テレビを見てびっくりした。

何これ。

戦争中の空襲に遭った街みたい。

これが今、現実に起きてるの?

そんなに大変な地震だったんだ。

友だちに電話して無事を確かめて、胸を撫で下ろす。

そのうち学校も再開し、元に戻ったけど、余震はあるし、2段ベッドで妹が寝返るたびに、地震かと思ってた。