私と母の関係は、前のブログでも書いたように、母が主であり、私は従、の関係。

母の言うことは絶対。
従わなければ、鬼のように怒られる。
勉強第一、他のことは特に構わない。

だった。


でも思春期になり、体が大きくなり、母よりも背が高くなったのは、小学校6年生のころ。

受験には異論なく、勉強していた私でしたが、母の言うことが、世間一般の母親とズレていることが、なんとなくわかってきた。

テレビは1日30分に制限されていたし、見る内容もお笑いはくだらない、と見せてもらえないので、友だちが見ていたドラマやお笑いバラエティの話についていけなかった。

私は父に似て奥二重で、妹は母に似てくっきり二重。
そのことを再三、『みんとはパパに似て一重になっちゃって、かわいそうねー』『〇〇(妹)は私に似て、良かったねー』と、言っていた。

それを聞いて、私が、二重じゃないと可哀想…ブスってことなんだ。私ってブスなんだ。て思うのは当たり前だということに、彼女は気づいていなかった。

傷つけようとしたのではなく、何気なく口にしていたのだ。
大人になってから、そんな話になり、こう言われたから私はブスなんだ、と思ってたよ。と言うと、えっっ 

と、びっくりしてた。


思春期になった私は、笑うと歯茎が見えるのがブスだな、と自分で思うようになり、うまく笑えなくなった。
カメラの前では特に自然な笑顔はできなくなり、口を閉じるようにしていた。
歯の矯正もしたので、歯も出っ歯でブスなんだ、とさらに自信をなくした。
矯正器具のせいで、ますます口を開けたくなくなった。
中学生の私はほんとブスだったと思う。
気持ちが後ろ向きだったから、顔にも出てたんじゃないかな。


近所の年下男子にもブス、きもいんじゃ!と喧嘩の捨て台詞とはいえ言われ、かなり傷ついた。

ザ、ネガティブ。
自己肯定感などかけらもない少女になっていた。

中学生になった私は、これで勉強はほどほどで良くなる!と安堵していた。
ある程度は試験勉強もしていたけど、部活に2つも入り、友だちができて楽しくて、やっと解放された感じだった。
母に対しては、甘えた記憶がないことに気付きだし、反抗心がどんどん湧く。

体では負けなくなったので、言い争いになった時についに
『殴ってみろ!殴り返すからな!』
と言い放った。
そのとたん、うっ、となったのが分かった。

毎回叩くことになんの躊躇いもなく、当たり前に叩いていた母が、叩かなくなった。
なんだ、叩かれるの嫌なんじゃん。
子どもだからって叩くのはおかしいやろ。
と、私はついに勝った気持ちでいた。

一方で、母への憎しみはどんどん強くなる。
母とは、甘えられて優しく受け止めてくれて、いつでも味方な存在なんだ、と世間が言う度に、うちの母はそうじゃないことに絶望して、望んでこんな親の元に生まれたんじゃない、とひねくれる。

その繰り返し。

優しい時は病気の時だけ。
私は勉強ができないと、生きる価値がないんだ。
と思うようになり、
激しく争うたびに屋根の上に登って、

ここから飛び降りたらどう思うかな。さすがに泣いてくれるかな?自分のせいって、思ってくれるかな。

でも、おばあちゃんが悲しむし、痛そうだし、やめとこ。

と、思って少しスッキリして戻る。
ということを繰り返していた。

母はいつでも自分の味方。
何があっても味方でいてくれる。

そのことが子どもにとって、どれだけ必要で重要なことなのか、身をもって体感したことになる。