母について 続き
母は年子の私たちの子育てが、大変だったようで、近くに住む祖母によく手伝ってもらっていました。私は初孫だったので、とても可愛がってもらっていました。
幼い頃の記憶は、祖父の家の応接室で、母が家庭教師をしている。
私の相手は、主に祖母。
妹が産まれる時も、しばらくの間祖母の家に預けられていた。
祖母と祖父の家の記憶はとてもたくさんある。
庭に生えていた植物も、祖父が育てていた菜葉やトマトの味も、怖かった日本人形も、祖父の子守唄も。
祖父の子守唄は、昔ながらの『坊やは良い子だ ねんねしな』祖母のはシューベルトの、『眠れ眠れ 母の胸に』
父と母の寝かしつけの記憶はない。母は寝る時に読み聞かせはしてくれていたみたいだが。
祖父が寝るまで足をさすってくれてたこととか、覚えてる。
その頃は叔母がまだ祖父母の家にいた。
母は妹である叔母と仲が悪かった。
養子に出た母の双子の姉妹も、よく従姉妹を連れて来ていたが、仲が悪かった。
従姉妹とは遊ぶこともあったが、あまり気が合わず、仲良くすることは難しかった。母も、従姉妹のことを悪く言うので、印象は良くなるはずもなかった。
続く。