スコ4匹、のほほん日記 -4ページ目

スコ4匹、のほほん日記

ヤマト、ラム、ヒメ、リリの成長記録



りりですが


今のところ、足は変わらずびっこを引くけど

食欲は、ものすごい


朝一番に、ご飯をくれーって雄たけび?をしたりする ( ̄□ ̄;)



サプリは、カプセルなので

中の粉を、ササヘルスと混ぜて与える




色と匂いは

結構、キツイものがあるんだけど


猫って、自分の身体にいいものってよく解ってるから

おえって、出そうとせず


全部、飲み込んでくれる音譜


ササヘルスは、ヤマちゃんがきっかけで

全員に続けて飲ませているけど


毛艶がよくなったり、目やにが減ったり





食欲も増えて、全員、体重が増えちゃったけど



サプリや、漢方薬を飲ませるのに

とっても適してる感じがする!







すっかりご機嫌な、りりちゃんは

ご開脚 (/ω\)


そういう時期なのね汗




れ、れでぃーなのに (//・_・//)






最近は

レッサーパンダにも見えなくもない。




いつまでも

この、のほほんな時間が続きますように










いつかどこかで読んだ事がある


「いつでも(人とペットが)交代していいような生活を

貴方のペットはしていますか。」


初めて読んだとき

これを言われた飼い主の立場として

その時、この言葉を受け止めていなかったので


軽くながしてたのだけど



恥ずかしいけど、今頃になって、

りりが、関節炎になって


この言わんとすることが、少し判った様な気がする。










この言葉はまだ続く


「いつこのペットに生まれ変わっても

後悔しない飼い主であれ」



これって、言葉で書くと

なんだそういう事かって思うかもしれないけど


とても深い


なぜって


自分の命に代えてでも後悔しない飼い主、

犬やペットに

何の見返りも期待しない飼い主になれと言う意味だと思うからだ。


「見返り」と言えば

ちょっと前の記事とかぶるけど


猫はなんの見返りも期待する事なく

無償の愛を、私に与えてくれてるのに対して



私は


なんでこうしてくれへんの、とか

もっとこうなって欲しい、とか

甘えて欲しい

もっと心が通いたい … 


色んな自分の気持ちを

ついつい押し付けてしまいがちで




そうならない事に

思い通りにならない事に

勝手に落ち込んだり、変にがっかりして… (*v.v)。


この感情って

なんだか恋に似たような気持ちだなって

時々、思ったりなんかするのだけど(/ω\)



愛することで満足

ただそこにいてくれてることに感謝するって領域まで

まだまだ行ってないなーっ


40年以上生きてきて


なにしてんねんって、私!って

自分が恥ずかしくなったりする。(//・_・//)



でも、やっぱりそう思わざるを得ない


私の猫達への思いって

愛って思ってたけど

恋なんちゃうの???て…


誰かの歌の歌詞にもあったけど

恋は 「相手から何がもらえるか」考える事であって、

愛は 「相手に何がしてあげられるか」考えることだ。



若い頃、

初めてこの歌を聴いたとき、

もっとも唸ったのが、

以下の部分


恋は必ず消えていくと誰もがいうけれど

ふた通りの消え方があると思う

ひとつは心がかれていくこと、そしてもうひとつは

愛と言うものに形を変えていくことぉ~



そう


私のこの思いは

もうとっくに、愛になってるって思ってても


猫特有の、ツンデレにヤキモキしてるうちは

まだまだ、恋なんだな~




話は戻るけど


こんな飼い主だけど

この仔たちにとっては私しかいなくて


今がすべてで


私が逆の立場でも


私に出会って良かったって思えるような

楽しくて穏やかで愛のある毎日を過ごせたらいいなって思った。



猫たちに教えられてばかりだ。



何かくじけそうな時は、あの言葉を思い出そう



「いつこのペットに生まれ変わっても

後悔しない飼い主であれ」









りりに、たくさんの元気玉、ありがとうございます m(_ _ )m






スコティッシュを飼ってる方なら
多くの方がご存知だと思うし

そういう状況になってしまってる猫ちゃんを
既に飼ってらっしゃる方も多いかもしれない

または

これから
いつ、自分ちの仔がそうなるのか
心配な方も多いだろう。



もし、初めて聞く事なら
ちょっとショックな記事かもしれません。




リリが生まれて、尻尾が曲がってた時

先生に、この仔は
寿命が3年くらいと言われた

スコ特有の関節炎になる可能性が高いし
成長しないかもしれないと。





でも

私の心配はどこえやら。

りりちゃんは、すくすく育ち

寿命3年とやらは、とうに超え
病気ひとつしなかったけど

確かに、8歳にしては骨格が小さいし
いつまでも子供みたいだ



そして、たまにだけど
びっこを引いて歩く。 


その症状は良くなったり、
たまにちょっと出たりの繰り返しだったけど

日常生活に支障があるほどの感じでなかった。



でも
最近、りりちゃんの歩き方、びっこの引き方(表現が変だけど)が、
今までと違う感じがしてきた




足を触って

シャーと威嚇したり
痛がるといった感じはしないのだけど

左足を、まったく使おうとしない。(急いで撮ったので、ブレブレです↓)







食欲は普通にあるし
元気なのだけど


歩き方が、日に日に辛そうに見えて
病院に連れて行った。


慌てて撮った動画を、先生に見せ
レントゲンを撮ってもらった


予想はしていたけど

スコ特有の関節炎と言われた。

 「痛いのでしょうか?」 

先生は少し困ったようにこう言われた

 「猫ちゃんは我慢強いですからね。」 


そう、猫は、我慢強いし
痛みにも強い



麻酔や痛み薬を使って
一時の症状を和らげる事はできても

関節炎は、よくはならないので
薬を常に使っていくと
腎臓に負担をかけてしまうので


今、健康的に
まったく異常がないのに

痛み止めを使って、痛みをとってあげて
腎臓を悪くさせてしまうのかもしれない


その判断が難しい


どうしたらいいのでしょう…って、顔をしてる私に

 「この仔は、突然、こうなったわけではないはずです。
 小さい頃から、この症状と付き合ってきたと思います」
 
と言われ




何か起こって
動揺するのは、いつも飼い主の私で

この仔たちは
とっくに受け止めていて

私の判断に身をゆだねていて

あらためて

私がしっかりしなきゃ!って、また考えさせられて。(*v.v)。




リリちゃんの場合
もうちょっと経過を見ないとだけど

関節炎はひどい場合は、
骨瘤になるかもしれないので、注意が必要と言われ…(>_<)







骨瘤


その言葉は、初めて聞いたし
かなりショックだったけど

人間で言うと、リュウマチみたいな症状らしい。

私は長年、リュウマチに苦しんだ人を知っているので
その人にしかわからない、痛み、苦しみがあるのを少しは理解してるつもりだ。

猫のそれは、人間とは違うらしいけど

関節に何らかの違和感があって
うまく力が入らないとか

そんな感じらしいし
常に痛いって感じでないらしいが

言葉を話すことができない私には

この仔がずっと我慢していても

すべてをわかってあげることができないという事なのだ…



今は、そこまで症状はひどくないにしろ

その時の事を考えると
知っておかなきゃって思い

このサイトを読んで、色々、頭に叩き込んでみたんだけど → 骨瘤



以下の文字を読んだとき

まだ起こっていないけど
涙が出そうになった



もし骨瘤になった場合



~重度の骨瘤はかなりの痛みを伴い

ひどい場合は腰椎にも起こるため、起立不能になる子もいるのだそうで

体重の負荷によって、複雑骨折に至る場合もある

「痛み」というのは人間でも個人差があるし
程度によらず泣き叫ぶほどの痛みを伴う場合、
痛み止めを一生投与するしか痛みを止める方法はない… …  ~







りりちゃん

弱い私でごめんね。

あなたの痛みを取ってあげれなくてごめんね。

痛いときは我慢しないで、訴えてね
 






私は今、どうする事も出来ない
りりの代わりになれないし、心配しかできない。

できることなら、痛みを取ってあげたい
そして、またへそ踊りもして欲しいし
思い切り、走り回って欲しい。



でも、薬で腎臓を悪くして
健康に害が及ぶのはもっと怖い…





だめだだめだ(・_・ 三・_・)
しっかりしなさい、私。

ごめん、りり。
つらいのは、私ではなくてあなたなのに。

私はついつい、

こうなって欲しいという、自分の気持ちを
ニャンたちに押し付けてしまってるかもしれないね…  (ノ_-。) 






なんか、考えがまとまらないけど

まだ、軽い関節炎だけだけらしいし
極端に痛がってるというわけではないみたいなので

泣き叫ぶような症状や
元気がなくなって、ご飯も食べなくなるという感じにならないうちは

なるべく、薬を使わず、
軟骨成分を補うサプリを毎日続けて
経過を見ていこうと思う。


関節炎は、決して治る病気ではないけど
このまま進行していなければ、そのまま悪くもならない。

問題なく生活していけるのだ。




どうか、サプリが効きますように… 





この症状にお詳しい方
どんな事もいいので、
何かアドバイスをいただけたら嬉しいです m(_ _ )m





私はかつてこのブログの中で

弱音をはいてきた



一人で生きていくと決めて15年


誰の手助けも受けなかったわけではないけど


あまり、人に弱いとこを見せずにきたので

ブログの中では、弱い自分をさらけ出してきたかもしれない


この年になって

やっぱり誰かと寄り添っていたいと思うようになって


それは恋人なのか

気の知れた親友なのか

趣味を共感し合える、友達なのかわからないけど


自分が誰かの役に立ちたいってずっと思っていた。



でも、そんな気持ちが空回りして


あなたは、正直すぎて親切なのはいいいけど

その行為は偽善だとも、そこに心はあるのかとも言われた事があって



結局、人のためと言うより


自分が笑っていたいから

ありがとうって言ってほしいから


究極には自分のために、

誰かに何かをしてきたのだなって思うことがあって


妙に落ち込んで






そんなとき、あるエッセイを姉がメールしてくれたのだけど


はっとさせられたことを思い出した。




知ってる人もいるかもしれないけど


神津かんなさんの文章を、また読むことにする。



ちょっと長いけど

読んでくれたら嬉しいな




~人に何かをしてあげること。~



私は、比較的やさしい、
思いやりのある人だと自負していた。


長女で、忙しい両親に代わって
妹や弟の面倒をみてきたことが習い性となったのか、

頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、
少し-ばかり自分の時間や労力を費やす事になっても、
それを惜しむ気持ちには、そんなにならない。


だから他人からは、面倒見がいいとか、
気配りがあるとか、やさしいとか言われ、

そう言われればもちろん、悪い気はしないから、
自分でも何となくそんな気になっていた。




そんなある日のことである。


食事中に私は、友人から意外なことを言われた。

共通の友人の窮地を見かねて、
私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、
彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。


「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」

私はカチンときた。ドンッ


「どういうことよ、それ」


「いや、だからさぁ、
君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、
結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、
時々、するんだよね。」


彼は言いにくそうに、

けれどもきっぱりと私に言ってのける。

私は猛然と反論しはじめた。


「何かしてあげて、
それで少しばかりこちらの気分がよくなったら、自己満足なの?
やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、
それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?
それって、あんまりじゃない。

もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、
そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、
相手のことを思ってやっているのは事実よ」
 
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。。

「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。

偽善でやさしくできるほうが、
何にもしないより少しはましでしょ?
能書きばかり言って、
あなたみたいに
何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
 

こちらもついつい興奮して、
刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。あせる

彼は苦笑して私を見た。


「ごめんごめん。
べつに君を批判してるわけじゃない。
人に何かしてもらいたいって事ばかり求めている人が多い中で、
君みたいにしてあげることを喜べる人は、
偉いと思ってるよ。

ただ…。。。
そこで立ち止まっているのは、君らしくないと思ってるだけ。」



話はそこで終わり、

気まずいまま私たちは店を出て、
ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、
そしてそのまま別々の電車に乗った。


下り電車はまだ混んでいて、
私は吊り革にぶら下がりながら、
さっきの友人の言葉を思い返した。

腹は立つのだが、何となく気になる。

残念だが心の奥底が、
どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた




ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。

それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。

地獄に落ちた人々が、
釈迦に向かって口々に

「食べ物をくれ!」と叫ぶ。

釈迦はその言葉を聞き、
大皿に食べ物を山のように盛り、
人々の前に置いた。
そしてこう言ったという。

「食べても良いが、手掴かみではいけない。
この箸を使って食べるように」

差し出された箸は、重くて長い箸だった。


人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、
箸に手を延ばし、食べ物を口に入れようとした。
ところが箸は長いので、
食べ物を箸の先が掴んでも、
遠くてそれを口に入れることができない。
ならば箸の下のほうを持って……と試みても、
箸は重いので、今度は満足に操ることも出来ない。

結局、目の前に山のような御馳走があるのに、
それらを口に入れることができない。
人々が泣き叫んでいると、
ある一人の老人が何事かを思いついた。

箸で食べ物を掴んだら、
自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。
食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、
その人も箸で食べ物を掴み、
自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
 
自分ばかりが食べようとしている時には
口に入らなかった食べ物が、
人に食べさせることによって自分の口に入る。
人を思いやることが、
結局は自分に戻ってくることにつながるのだ……

というような話だった。





こういう戒めはキリスト教にもある。
聖書には

「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」
という言葉がある。

ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
 
けれども、あの仏教説話を聞いた時、
確かその話をした人は、
こんなことを付け加えていたのではなかったか。

「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、
もう一つ大切なことが隠されています。
それは、人が誰かのために何かをするという行為は、
所詮、自分への見返りを期待してのこと。
仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」

 

友人は、この事を言っていたのだろうか。

自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。
それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
 




私は決して、何かを人にしてあげる時、
具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、


でも心の底には、

そうする自分を見て満足するとか、
人の評価を聞いて満足するというような、
精神的見返りを持っているところが、皆無とは言いがたい。 (*v.v)。
 

私は窓の外に目を遣りながら、
じっと考えた。
聖書の中に、こんな言葉もあったっけ。

「人がその友のためにいのちを捨てること。
それより大きな愛はない」


見返りを求めず、
自分の身を投げうつことが愛というならば、
私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばない。
 

私は胸が苦しくなった。
 

してもらうことを望むより、
してあげることの喜びを感じられるほうがいい。

偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、
やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。

けれども、そこは第一のステップにすぎない。


その上に、階段はずっと続いているのである。

私はその階段があることに気づいていなかった。

…いや、気づいていたのかもしれないが、
面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。

 
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。

けれども、だとした


いったい私はどうしたらいいのだろう。


どんなふうにすれば、

せめてもう一段、階段を上がれるだろう。




帰宅後、私は思い余って

さきほど別れた友人に電話をした。

電車の中で気づいたことを素直に告げた後、
どうすればいいのだろうと尋ねたら、
彼は笑いながら言った。


「感謝感謝」

「え?」






「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・

植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、
太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。
人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、
もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、
きっと自己満足なんかしないと思う。
むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹や
こもれびにサンキューって言いたい気分になると思う。
偉そうなこと、俺も言えないけどね」






私は体中が温められたような気分だった。

 
その友人は二年後に亡くなった。

周囲の人の殆どは知らなかったが、
彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。

もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。
郷里に住む高齢のご両親にかわって、
友人たちが彼のアパートの整理をした。


そのうちの一人が、
後日、私に電話をしてきた。


「彼の部屋は貼り紙だらけだった。
テレビには『笑いに感謝』、
流しの水道には『水に感謝』、
トイレには
『排泄に感謝』、
ベットには
『眠りに感謝』、
それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。

何て書いてあったと思う?


『病気に感謝』って書いてあったのよ」

彼女はそういうと電話口で泣きだした。



人に何かをしてあげること。

それはもしかしたら、

自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され
支えられていることを素直に感謝する瞬間なのかもしれない。




 


次のステップはまだ遠い。
でも私はあの友人のおかげで、

ほんの少し

心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。





このエッセイを送ってくれた、姉に感謝 m(_ _ )m


























ヒメさんには

おチビさんの頃から、変わらず得意とする技がある。

その名も、「ダイレクトキャッチ」クラッカー





ちゃんと両手で、掴むところがすごい

調子がいいときは、口でダイレクトキャッチしたりする!! o(^^o)(o^^)o


途中、「しつこい!」って言いたそうだけどあせる

まんざらでもないヒメ 音譜




今年、15歳になろうとするけど

芸にますます、磨きがかかってるんじゃない???











ぽかぽか陽気のある日


嫌がる娘達を、ケージに入れ

お花見に行ってきた



家からすぐ近所に

とても桜がきれいな場所がある




ところどころ、葉っぱが目立ってきた感もあったけど






場所によっては、満開ってとこもあって

思い切って連れてきてよかった音譜





ますはりりちゃん






ちっとも、じっとしてくれない( ̄▽+ ̄*)


そして、目も合わせてくれない( ̄▽+ ̄*)




桜の香りを感じているのかな?





少し、場所を移動した




お!!!


満開やん о(ж>▽<)y ☆





らむさん、写真、撮りましょうか




相変わらず、べっぴんさんですな~ラブラブ


貫禄すらあるしっ






ふと、空を見上げる


何か見つけたの?






ヤマちゃん!


そういえば、去年、皆で一緒にお花見したよね





そしてヒメ




相変わらず、カメラ目線 ヘ(゚∀゚*)ノ





ヒメの淡い色と、桜の色マッチして

とっても綺麗(〃∇〃)








ヒメも何かを感じてるんだね






またこうして、みにゃでお散歩しようね



















何度も何度も

ブログを書こうと

このページを開こうとしたけれど


なかなか、このブログに向き合う事ができずにいた



タイトルが

「スコ4匹、のほほん日記」だからなのかなぁ…



相変わらず

部屋には、補液が

あの頃のままにしてあって


なかなか、片付けられずにいる。





時折


胸の奥がキューンと痛くなり

わけもなく、泣きそうになる事があって


そのたび


夢でも

ヤマトに会いたいって思ってしまう。



あんなに愛おしくて

こんなにも恋しくて



どんなに思っても

どんなに泣いても


思い出にしかヤマトはいないけど


今は、悲しいというより


懐かしいという感情に近い



どんなに月日が流れても

この気持ちは変わることはない


だから


今は、寂しさも辛さも

この感情全てを味わい尽くそうと思っている







今は、3にゃんと

のほほんな毎日を過ごして


この娘達が、

私に生きる喜びと、笑顔を取り戻してくれている




しっかり者で

しっとりしていて


まるでお姉さんのような、ラムさんラブラブ


最近、ますます艶っぽくなった気がする!!!



いつも寄り添ってくれて、ありがとね





お転婆娘で、

相変わらず食い意地も、ものすごいヒメラブラブ

でも、一番甘え上手


表情もそうだけど

やることなすこと、ヤマちゃんにそっくりに!!!


いつも一緒に寝てくれて、ありがとね







いつもマイペースな、りりちゃんラブラブ



すっかりレディーになったね!!!


最近、コロンコロンになって来たから

サマーカットしましょうね ( ´艸`)




更新が途絶えていたのに


コメントやメッセージを下さった、皆さん。

毎日、ブログに遊びに来てくれたり

もうひとつのブログにまで、訪問してくださった方


心配して下さって、ありがとうございます。m(_ _ )m




これからも、マイペースで

のほほんな日常を更新できたらな、と思っています













ある本を読んで、涙が止まらなかった

「ペットがあなたを選んだ理由」

いろんな職業を経て
真言宗の尼さんになった塩田妙玄さんの著書です。


$スコ4匹、のほほん日記



この本は、
本当に、今の自分の気持ちに当てはまっている部分が多くて、
少し疲れていた私にはタイムリーな内容が書かれていた


「…何百万と言う出会いの中で
  なんでこの子は、うちに来たのだろう
 
  なんでこの子だったのだろう

  私たち飼い主は、その子たちとの暮らしの中で
  幾度となくこんな事を考えるのではないだろうか


  ペットたちの命、人生、生活の快不快は、
  飼い主によって決められる


  …しかし数多くのペットと暮らす人々を見ていると
  その出会い「どのペットを飼うか」は、 
  飼い主ではなく、
  ペットサイドが決めてるのではないか?と思う事が多々ある」


こんな興味深々は内容が綴られていて
いろんな出会いやエピソードが書かれている


タイトルの「ペットがあなたを選んだ理由」に対して

出会った意味に、ヒントがあると書かれている

 「…今、あなたのペットは亡くなろうとしています
  (なくなってしまってる場合は、そのままの状況設定で)
  亡くなろうとしている、あなたのペットに
  ○○してくれてありがとうと、感謝の気持ちを伝えるなら
  あなたはなんと言いますか?

  あなたは、どんな感謝の言葉をその子に贈るのだろうか

  あなたが贈ったその言葉こそが
  あなたがその子と出会った意味である

  あなたの愛した子は「それ」を教えるために
  あなたの元に来てくれたのだ
  ○○が、私の心の支えになってくれた、というのであれば
  ○○はあなたに、人の支えになれるそんな人になれるよう
  天からのメッセージを持って、やって来てくれたのだ…

  あなたがそのこから、心の支えになる事を学んだのなら
  今度はあなたがそれを実現する番である
  ほかの誰かから、あなたは心の支えになってくれたと言われたとき
  その事を実践しているとき
  亡くなったうちの子は、私の中で生きていると実感できるでしょう」



これこそが「死してなお生き続け」と、力強く語っている



ヤマちゃんに限らず
今、いる3ニャンに対して
「ありがとうの手紙」を書くとき
私はどういう言葉が思いつくか

このブログでも、思いつくまま語ってきた

その思いや意味を、私に届けるために
私はヤマちゃんや、3ニャンに出会ったんだね

私はヤマちゃんに

「無償の愛をありがとう」
「強くたくまく生きることを教えてくれてありがとう」
何度も何度も思っていたし、今も思っている


ラムさんに対しては

スコ4匹、のほほん日記


「しっとりしていて穏やかで、空気を読んでくれる子」


ヒメに対しては

スコ4匹、のほほん日記

「誰よりも情に熱く、思いやりのある優しい子」


りりに対しては

スコ4匹、のほほん日記



「マイペースで自分を持っている、愛らしい子」


それぞれ、私が足りない部分を持っていてあせる
こんな女性になってほしくて、来てくれたのかなって
ちょっぴり思ってしまった (*v.v)。



ヤマトに至っては
言葉では上手く言い表せないけど
最期の時間、たくさんたくさん話せたおかげで

私のところに来てくれて幸せだったかな?という「疑問」に事に対しても

漠然ではあるけど、
そうだったんだねって。(*゚ー゚*)


自己満足かもしれない

でも、15年という歳月を共に暮らし、
私の身体の一部だったヤマトは
幸せな猫生だったんだなと、思えるようになりました。


スコ4匹、のほほん日記






特にこの本で、印象的だった章


してあげる」から「させていただく」の世界へ。


私たちは自分ちの子の世話をやってあげているのだろうか
それとも、やらせていただいてるのだろうか


これはペットの他、対人間にも当て嵌まる言葉で

普段、ニャン達が元気な時は
「してあげている感」が確かに強いかもって気づかされました(・・。)ゞ

例えば
「ごはんあげなくちゃ~」
「トイレ交換してあげなくちゃ~」

「そろそろ、○○してあげなくちゃ~」など…


それがうちのコの末期になると、
だんだんとやってあげられる事が少なくなってきて、

最終的には

「私にさせてもらえる事があるなら、
 何でもやらせてもらいたい」


こんな心境になる人も多いのではないか?と書いてあり

なんか妙に納得してしまった


人は「してあげている」と思うと

「私がこんなにしてあげているのに = 同じくらいあんたもやりなさいよ」と

特に夫婦・家族間では
日々不満や怒りが溜まっていくようで・・・

不思議と人は「やってあげたこと」はたくさん覚えているのに
「やってもらったこと」はほとんど覚えておらず
「あなたのためでしょ」とかいいながら、

実は相手ではなく
自分がやりたい事をやっている事が多いという

… う゛ぅぅぅ・・ (-。-;) 説得力あるなぁ


現実的な見返りを認められないペットとの生活だからこそ、
その関係性の中で

「してあげるから、させていただく」事を学べるチャンスを

私たちは与えてもらっているのではないか?とも書いあった


人相手では愛されることばかりを追い求めがちだが
ペットと暮らし初めて知る、ただひたすら愛する喜び、尽くす幸せ



これを学ぶ為に、動物たちはそばにいてくれてるんだなと。




1ページ1ページ読み進めていくたびに、
涙でぐちゃぐちゃになりながら、

わが子への感謝と、
残された3ニャンとの日々も大事にしていきたいって
改めて思うようになった



皆さん、自分ちの猫ちゃんに「ありがとうの手紙」を書くなら
どんな言葉を思いつきますか?








ちっと4匹に、愛の手を  m(_ _ )m
 ↓     ↓      ↓
にほんブログ村 猫ブログ 猫 完全室内飼いへ  スコ4匹、のほほん日記





更新が遅れました

毎日、毎日
覗きに来てくださった方

心配して、メッセージくださった方

ペタを残してくださった方

本当にありがとうございます m(_ _ )m




前回の記事を書き上げたとき



ヤマトの事が恋しくて

いない現実が寂しくて

触れない事が悲しくて


そんな自分と向き合うのに、少し疲れてしまいました(ノ_・。)



私はずっと強がっていたのかな




悲しみに向き合う事を避けて

あえて、頑張ろうとしてきたかもしれません。


でも、この悲しみも
とことん味わい尽くす事が大事だと
この期間、感じました


私は今までずっと
最近のヤマトの動画を見る事ができませんでした(>_<)


でも、ちゃんと見る事が
悲しみと向き合う事になる


今の悲しみ、辛さを味わったあと


こんなに、悲しいほど思わせてくれてありがとうって気持ちが
また湧いてくるのだな、と。



泣いても泣いても枯れることのない涙

こんなに

切ないほど、思わせてくれて
胸がキュンキュンいたくて

目を閉じたら、あの目を思い出して

耳を澄ますと、あの愛しい声が聞こえてきそうで


こんなにこんなに
思わせてくれてありがとう


そう思うと


ヤマトが命懸けで、過ごしたあの日々を
私はちゃんと、この目で
もう一度しっかり見てあげたいって思えるようになりました

そして、これからも見てあげたいと。




動画を作りました

この動画は、ヤマトが輸血で入院した7月6日から
虹の橋を渡った、12日間の私たちの日々

たった数日間でしたが

ここ数年で、一番、ゆっくり話せた幸せな時間でした

あえて音楽も入れず、そのままにしました





今日、49日を無事、終えました



10分くらいの長い動画になりますが


 

ヤマトの勇姿を、一緒に観てやってくださいますか?

(*注:途中、ヤマトの亡骸が少し出てきます)





見れない方は こちら → http://youtu.be/9h47hzwQsoQ


みなさんにコメントもお返しできなくてごめんなさい。


この記事で皆さんへの、
お返事にさせていただきたいと思います

これからもマイペースな記事になると思うけど


これからも、私と3ニャンののほほんな日常を
見守ってください
そして、ずっと一緒にいるヤマトをもよろしくお願いしますm(_ _ )m









ぽちっと4匹に、愛の手を  m(_ _ )m
 ↓     ↓      ↓
にほんブログ村 猫ブログ 猫 完全室内飼いへ  スコ4匹、のほほん日記




今年に入って
4にゃん連れて、散歩に出かけるようになった

ヤマトが病気になって
1年の色んな四季を一緒に過ごした事を残したい

そんな思いからだった



元々、このブログも
ヤマトを失うかもしれないという恐怖心

その時、自分がどうなるかわからなくて

一人では、向き合えないと思って

ヤマトをたくさんの人に知ってほしいとい想い

どんな些細な当たり前な日常も
残しておきたいという気持ちから
始めたのだった




今年、家の近所で
桜が満開だった時

あと何回、桜を一緒に見ることができるだろうか

そう思って
4にゃん連れて、写真を撮りに行った


スコ4匹、のほほん日記


ヤマトは、いつもご機嫌で
尻尾を降って

ついには私の腕で眠ってしまうのだった≧(´▽`)≦


来年も再来年も
桜を一緒にみようね




私の自己満足かな?ってちょっぴり思っちゃったけど



あののほほんとした優しい時間が
たまらなく好きだった



スコ4匹、のほほん日記


ご近所の周りは
格好の散歩コースで

よくヤマトを抱っこして歩いたりもした


病院でストレスが溜まってたヤマトも
少しはリフレッシュできたかなって思ったけど


こんな、ぶちゃいくな顔の時もあったりで

ププって笑ってしまったけ



スコ4匹、のほほん日記


家の前でも
よく私の膝にゴロンしちゃって

お話いっぱいしたね



そのまま寝ちゃうヤマト

可愛くて愛おしくて

またあの時みたいに
ヤマトとお話したいよ



そして6月

4ニャンで紫陽花祭りに行ってきた

スコ4匹、のほほん日記


おいおい

ヒメさんてば ( ̄▽+ ̄*)


スコ4匹、のほほん日記


あれが最後の散歩になっちゃった




女子たちは暴れまくって
オモロイ写真ばかりだけど


スコ4匹、のほほん日記

スコ4匹、のほほん日記

スコ4匹、のほほん日記



なぜか、ヤマトは大人しくて
綺麗な写真ばかり撮れた


スコ4匹、のほほん日記


スコ4匹、のほほん日記

スコ4匹、のほほん日記

スコ4匹、のほほん日記



まだふっくらしていたヤマト



この数日後、かなりの量を吐いて
ヤマトは再び倒れた


この日から1ヶ月もしないうちに

ヤマトはやせ細ってしまい
虹の橋を渡ってしまったのだった



スコ4匹、のほほん日記

スコ4匹、のほほん日記


紫陽花の花が切なく綺麗にみえる


$スコ4匹、のほほん日記


お気に入の1枚音譜


ヤマトが優しい光に包まれてるように見える




ヤマト

いつもいつも
私の気持ちをわかってくれてありがとうね

その吸い込まれそうな綺麗な目を
いつまでも見ていたかった

今もちょっぴり寂しくて
ヤマトを思って泣いちゃうけど



今は、いつも一緒にお散歩してるように思えるよ