大晦日を静かに過ごす
なおみんです


今日の年越しメニュー。
あとはお蕎麦食べるだけだよー

てことで
テレビも観ないでブログ書きまくり。


2020年の始まりに書いた記事。
『派手に生きたい』
と書いてたんだねぇ(遠い目


見た目だけは、
派手に生きてたな。笑笑
中身は、まだまだ。

ROCKな自分でいたいと思うのは
最後の最後に、やっと弾けた感。

あとは、
『事務所欲しい』
これは叶えたよね。

それから
歌いたいことと、
パートナーシップ見直したいこと。

歌は、コロナの影響もあって
プライベートでも全然歌えず。
いっそYouTubeで歌うかねぇ?

パートナーシップは
別に見直さなくても良かった。
わたしの考え方を変えたら終了。



さて来年はどう生きようか。

今思うのは、
ネガティブな自分も
遠慮なく出していきたいってこと。

多分ヒトのココロって
凪のときは二層になってて
上澄みの、透明で綺麗な部分だけを差し出す。
でも荒れてるときは、ないまぜで
下層部の泥と混ざって濁ってるんだ。

それでも出来るだけ濾過して
透明な部分を差し出そうとする。

わたしは、それを辞めようと思う。

凪のときも
下層部の泥の存在を、無きモノにしない。
綺麗な澄み切ったわたしなんて
もはや、わたしじゃないでしょ。

どちらも併せ持つことを前提として生きる。
泥の存在は、わたしにとってタカラモノだ。
この中に、たくさんの感情が沈んでいって
だからこそ上澄みが綺麗に見えているだけ。

そして心が荒れたときは
この泥が水を濁らせてわたしを守ってくれる。
でも自然とまた泥は沈んで二層に戻る。

だからどうか
綺麗な澄み切った部分だけで
わたしを決めつけないでいただきたい。

泥の中には猛毒の蠍も生息している。
上手に飼い慣らしたいけど、まだできない。
何故なら、
その存在を無きモノにしていたのは
紛れもなく自分自身だから。


二極化、
というワードを一番実感したのは
この二層の水をどう見せていくかについて。

わたしは泥も見せていくけど
それを見たいと思う人、見たくないと思う人
同じように見せていく人、見せない人
そんな感じで分かれていくのかもしれないなと。

別にどちらも間違いじゃない。
選ぶものが違うだけのこと。

見たくない人たちが離れていくだけ。
その人たちに見せようとしても無駄なのだ。
見たい人、見せていく人たちと
一緒に進んで行けばいい。


そんな意味でも来年もまた
派手に生きたいですよねー。
見た目だけじゃなく。

来年は金髪にしたい(見た目かよ