前回までの、『直美物語』①~③の続きです。
ここまでで出来た私の固定観念
・孫は祖父母に頼るものではない
・家族は助け合うものだ
・助けてほしい時でも誰も助けてくれない
・出来る限り人に頼ってはいけない
・お金はなくてもなんとかなるものだ(これだけなんかポジティブ)
固定観念とは、その人の性格、というよりは、世間はこうである!という思い込みです。 本当はそうではないのに、経験からそう思い込んでしまう。 固定観念は、少ない方が生きやすいものです。
この私にできた固定観念が、結婚してから私を苦しめることになります。
23歳で結婚、 家業のガソリンスタンドを手伝いだしたのが26歳、長女生後7ヶ月。
手伝いと言っても出勤は月曜〜土曜、9時〜17時 長女のお昼寝は事務所でベビーカー、 おんぶで給油し、おんぶで洗車の吹き上げをする。
それに加え義兄弟の甥っ子や姪っ子のお世話。(同じ町内に7人います、みんな子供だけ預けにきます)
うちの子は義両親にお風呂に入れてもらったことも1回もないし、お泊りさせてもらったことも1回もありません。 休みもほぼなく、子供を連れてママ友と遊ぶ、なんて夢のまた夢。 友達とのランチも仕事があるからと断り続け友達が一人もいなくなるんじゃないかと思いました。
すごい閉鎖感
そして 家族は助け合わなければならないという気持ちで助けても、 誰も助けてくれない。 でも、誰も助けてくれないのも知ってるから、それまでも受け入れてしまう。
旦那さんが跡を継いだのが、長女3歳、次女0歳の時でした。
その時に義姉と義母がしてた事務の仕事と、商工会に頼んでた事務の仕事が一気に全部私に回ってきました。 この時29歳。
月曜から土曜までガソリンスタンドの制服しか着ず、このままめっちゃ老けて、「スタンドのオバちゃん」になっていくんかな、、、 めっちゃ嫌やな、と思ってもどうにも出来ず、 旦那さんに文句と暴言ばっかり吐いてました 。
また限界を超えてる私 。
旦那さんからは、「どうにも出来やんから我慢してくれ」 何を言ってもそれしか返ってきませんでした。
義母は近所の人に「あんたは内孫より外孫の方ばっかり大事にするから、もっとみたんない」と何回言われても全く変えようとしない人でした。
義母なりの想いや考えがあるのでしょう。
でもそのおかげで、私に対する近所の人からの評判はすごく良く、皆さんとても優しくしてくださいました。
ありがとうございました。
26歳〜36歳 私の中で鎖国時代と呼んでる約10年間でした。 また出来た固定観念
・結婚して旦那さんがいても助けてくれるとは限らない
人に期待はしない 信じれるのは自分だけ
そう心に決めました ここまでお読みいただきありがとうございます😊
次回へ続きます🙏🏻