中村直美のお仕事日誌 -2ページ目

中村直美のお仕事日誌

長崎から東京へ移り住んで早13年。
フリーアナウンサーとして紆余曲折を経て成長しています。
中村直美が携わった日々のお仕事の反省やエピソードそれに付随するプライベートなどを綴っていきます。

お気軽にお立ち寄りください♪

球でしい倍返し・・・

 

そんなわけないだろ~!!

 

私の父がこの名前込めた望みは、「素直で美しく」だそうです笑い泣き

 

でも、名前の漢字を聞かれる時、「ちょくみ」です。というと分かりやすいといわれるんですよね・・・汗

「素直の”直”に美しいです」・・・って言うのが恥ずかしいのもあるんですけどキョロキョロ

 

小林克也さんの冒頭のフリには、直球で美しい倍返し一言でお返しできるよう頑張りますグラサン

半沢直樹みたいに華麗な倍返しができたらいいな~。

 

今週日曜日の最終回が・・・の前に、録画している前回の分を見なきゃあせる

 

あ、まずは、朝食朝食。。。



「裸の大将」の主題歌「野に咲く花のように」が脳内で流れてます。。。

道ばたに咲く花のように強く可愛く生きてゆきます爆  笑

ただ、スズランなどのように毒を持ってますので御注意下さいてへぺろ

 

それと、雑草のように踏まれても強く生きてますが、踏んで欲しい訳じゃないのでお間違いなく!!

てか、踏んだら怒りますし、半沢直樹ばりに”100倍返しビックリマーク です真顔

 

昔から朝に弱く寝起きも超悪いので、朝食は糖分。糖質が多めです。


だから、私は痩せない笑い泣き

 

ここ4ヶ月ほど、金曜日の早番勤務の時しかブログを更新していない。。。ゲロー

書きたいことは沢山あるのに。。。Twitterに書いて満足してしまっている汗

「ネバネバ女子」っていっちゃうと、粘着質で執念深そ~なイメージなんですけどガーン

肉食の方が、素直な感じがして好感が持てるわグッド!

 

そして・・・問題の「マスク美人」か・・・顔半分しか出てないんですけどね~ぼけー

取り消しても遅いですよ~克也さんビックリマーク

 

タレントの”ざわちん”さんみたいにマスクから出ている部分だけでもメイクすればいいんですが・・・

すみません。マスクの有り無し関係なく、スッピンでした笑い泣き

 

NACK5社内だけでなく、今は、どこでもマスク着用が求められていますので、今日も、ニュースを読む時以外はマスク姿で、ファンキーにお伝えしますウインク

 



てか、浅草三社祭の手ぬぐいで作ったマスクグラサン

コレを付けていると、行く先々で「祭り好きなんですか?」と言われます。

確かに、人とワイワイ騒ぐのは好きですが、祭り好きではないですあせる

 

今日のファンキーフライデー冒頭のニュース

 

戦争を体験された小林克也さん。。。

飽食時代に忘れがちな感謝の気持ちを思い出させて下さいました。

克也さんのご要望にお応えして、これからも食べ物への感謝の気持ちを込めて美味しそうな食べ物のアップしていきますデレデレ


ここ2ヶ月で食べたものラブ













小林克也さんからは”老い”扱いにされたけど・・・

それも否めない昭和生まれ笑い泣き

 

肉好きの克也さんが食いついてくれそうな肉写真を昨夜アップしておいたのに。。。スルーゲロー

 

 

無駄な画策でしたあせる

久しぶりのイニシャルネタ・・・でしたゲロー

 

昔のお題も再使用されてる可能性あるようなので、復習しておかねばいけないのですねあせる

何にも面白くない普通~な返しですみません。

 

しかも、最後、いつも通り「中村」と言おうとしてしまって、イニシャル噛んだしゲロー

 

今日もファンキーにニュース勤務頑張りますグッド!

克也さん、何かネタをください・・・笑い泣き

「何か」が一番難しいですゲッソリ

 

 

今回は、甥っ子に助けられましたドキドキ流石、私の甥っ子ちゃん音譜

既に、伯母バカが始まっておりますが。。。

先週火曜日に2人目の甥っ子が生まれました音譜

初めての甥っ子が予定日より10日も遅く生まれて、3,600㌘もあったのに対して、2人目の甥っ子は小さいのでめっちゃ軽いゲラゲラ

 

男の子2人なので、妹は大変でしょうが、そのフォローに長崎から母が上京しております。

一昨日まで実家に帰っていたのは、その母を実家まで迎えに行ったからウインク

ロックダウンが起こるのではないかと言われるほどの東京に高齢の母を連れて行くのは、心配もありましたし、周囲からも反対がありましたけど、帝王切開した上、まもなく4歳になる長男もいる娘(妹)が気になるからという母心。

私は、仕事もあるし何より子育て経験無いから母ほど頼りにならないのだあせる

 

そうそう、スタジオ出た瞬間にADちゃんから「直美おばちゃん」と言われましたが、私を「おばちゃん」と言っていいのは、私の可愛い甥っ子だけなんで!!むかっ

あしからず。。。

3月は、本来なら外郭団体の総会シンポジウムやマラソン大会などのイベントで忙しい時期…だったけど、全部キャンセル

NHK長崎局時代にお世話になったお花の先生が病気療養中という事を知り、帰省することにしたのが2月下旬…えーん

この1ヶ月で新型コロナウイルスによる状況が変わり(悪化し)、東京はロックダウン(都市封鎖)か?な状態まできちゃいましたガーン


先生とも面会できないかなぁと思っていたら、玄関先で数分。お土産の交換しておしまいでしたショック

でも、元気なお顔だけでも拝見できて良かった…ということで、今の騒動が終息し、改めて伺えたらいいな。

昨年のサッカースタジアムでの素麺イベントでご助力いただいた素麺の組合の方にも、サクッとお土産をお渡しに。
実は、電話やメールだけで顔を合わせた事がなかったのでご担当の方々と初対面

新型コロナウイルス感染拡大防止による外出自粛で、保存ができる乾麺などは需要が増えていて、素麺もそれに漏れず、各産地で大忙しなんだそうです。
特に東京の卸や小売りとの取引がある所が忙しいみたいで、そうじゃない所との落差が・・・。
こういう時に産地として組合がまとまっていたら、一丸となって取り組めるのにな~。
こっちの組合は大忙し、あっちの組合は暇なんて・・・私達、消費者からしたら同じ「島原手延素麺」という意識なので勿体ないと思ってしまうのです
人間だから感情や拘り等もあるのも分かる(私も拘りが強く好き嫌いも激しいし・・・)
災害だけじゃなくて、現在の新型コロナの様な経済的不安も大きく伴う様な事態では、共助と互助が大きな力を生むと思うので、横のつながりもしっかり広げていきましょ

今回は、5日も居られたので、実家から歩いて10分の世界遺産「原城跡」など懐かしい町内を回れましたwww
丁度、先月中旬にNHK「ブラタモリ」の天草・島原の潜伏キリシタンを巡った回が放送されたばかり


観てなかったら、実家の母が録画していて、うちの畑が紹介されているから見なさい!と・・・。

半農半漁をしていた祖父母の畑が原城の本丸下にあるのは知ってるし、子供の頃はたまに手伝わされたりもしてたけど・・・


そういえば。。。本丸下の畑の事を「ハスイケ」と祖父母が言ってた事を思い出した

ばっちり、一揆軍が利用していた蓮池の場所でしたwww
現在は、まだ父が船員をしていて実家にいないので、お隣の方に無償で貸してお米を作っているそうです(笑)


本丸から坂を降りたところにある母校の南有馬中学校

私が通ってた頃は、グラウンドのすぐ横が砂浜でしたが、今は埋め立てて整備され遊歩道や建物がたってました。


長崎の平和記念像を作った彫刻界の巨匠 北村西望先生の生家がある西望公園
そこに西望先生の秘書をされていたという女性の銅像が…
なんとなく、ハリセンボンの春菜さんに似てる…

2月下旬は、新型コロナ感染防止策によるスポーツ・文化イベントの自粛要請を受けて、3月に司会をするはずだったシンポジウムや祭り、マラソン大会のキャンセルが毎日かかってきて…一週間かけて全滅しましたチーン
一つ一つスケジュール帳から赤い文字(※色分けしてて仕事は赤)が消えていく一週間でした笑い泣き

2月20日に厚生労働省がイベント開催の必要性を検討するよう呼び掛けた日から、中止の連絡が始まり…
なんとか実施しようとしていた案件も、2月26日の安倍総理のスポーツ・イベントの中止・延期要請で中止決定ビックリマーク
そのうちの一つは、主催から連絡が来る前にTwitterで中止を知った…笑い泣き

Twitterに書いてある"あと一つ"のお仕事は、その翌朝に漏れることなく延期の連絡があり、3月の中止・延期連絡がコンプリート笑い泣き

例年、3月は、秋のイベントシーズンに次いで忙しい月
…でしたが、暇な月になりました汗
仕事の数が減れば収入も減る。悲しきフリーランス

社会人になる時は有効求人倍率が"1"を切ってた超氷河期、なってからも、非正規やらリーマンショックやら、東日本大震災も。
逆境を乗り越えてきたという自信を持って前向きに頑張りまーすビックリマークちゅー

さて、迎えた3月
不要不急の外出を避けつつ、先を見据えて今後のための行動を始めましょ♪

桃の節句お団子雛人形桜
全国乾麺協同組合連合会の事務所がある製粉会館のロビーも雛祭りディスプレイでしたラブ
結構こまめに変えてあるんですよおねがい
機会があったら見てみてください…と言っても、その手前に守衛さんがいるのでチェックされますけどウインク
私の好みとは異なる着物も挑戦ですグラサン
もういい歳ですし…
NHK長崎勤務時代のお花の先生にいただいた大島紬

15年前、着付けができるようになったと先生に報告したら、先生が20代の時に着ていたという大島紬をいただきました…
…が汗
当時20代だった私に、こんなに渋めの着物はハードルが高くて着る事ができず…滝汗

当時はかろうじて大島紬の名前だけ知ってた程度で着物の知識がなく、しかも、頂いた時の八掛の色がショッキングピンク!?
地味な色柄の着物に派手な八掛(袷の着物の裾の裏につける布)を合わせる約50年前の流行した合わせ方なので、そのまま着るのも憚られた…ショボーン
…ってことで、15年間タンスの肥やしにしてた大島紬をお仕立て直ししましたウインク

八掛をモスグリーンの落ち着いた色に変えて私の寸法にお仕立て直し👍
帯は、知人からの貰い物。
隣の家に住んでた三味線教室の先生をされてた方から譲られたという物で、着物を着ないからといただきました口笛
じゃなきゃ、捨てるって言うんだもん…

粋な下町風情でこれから楽しみたいと思います😁

足袋は、柄付きの行田足袋👍

…と合わせたのに、草履が…フェミニンな白しかなかった😭
草履を買わなきゃ😓