名言
閉まるまで
分からない 』
かつてこの言葉を私に言った人がいました。
子供だった私に
多分・・・いえ、間違いなく
渋く、格好良く、タバコなんぞ
ふぅ~とふかしながら
人生とは何ぞやと己に言うように
私に言った人がいました。
その人は別に有名な~的な人でなく
常に人生を熱く語るような人でもありません。
つつましい家庭を持ち
不器用ながら家族を愛し守り
自転車で銭湯へ行くのが何よりも
好きな私の父です。
名を「三郎」と言います。
三郎には兄がいましたが
一郎というわけではなく
更に言えば、三男ではなくて
二男でした。
なのになぜ、三郎???
この謎は未だに解明されていません。
三郎は洋、邦画問わず映画が大好きな人でした。
そんなせいか、時々妙に小洒落たことを
子供の私にポツリと言うことがありました。
その瞬間、下町のオヤジは
一挙にハンフリー・ボガードにでもなった
ような気になっていたかも知れません。
名言は後から少しずつ効いてくるものです。
人間は生まれて死ぬまで通過点であり
その間に起こる様々なことは
まだ「結果」では無いのです。
上手くいかない出来ごとだって
どんなに素晴らしい出来ごとだって
生きてるうちはどれもが「通過点」。
棺おけの蓋が閉まって初めて
本当の意味の「結果」が見えるのです。
だから今日ダメなこと
哀しくて辛いことも
まだまだ通過点なんだから
卑下したり諦めたりも
しなくて良いかも知れません。
そんな下町のハンフリー・ボガート
“ボーギー”三郎の
人生はどうだったんでしょう?
棺おけが閉まる直前に
その頬にKISSをした
ローレン・バコールならぬ
母がいたから
父の人生の結論は
バラ色だったかも知れません。
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