1993年
連載自叙伝
14回目は
最大の転機ともいえる
93年の出来事をお話します
心機一転
長い間お世話になった
アイドルの事務所をやめて
女優さんの事務所へ移籍
昼ドラや時代劇
舞台のお仕事から
スタートしていました
お酒はなんでも飲むし
ダイエットとは無縁の生活
けっこうふっくらしていました
ある日のこと
中華料理店で
ばったり再会した篠山紀信さん
「ちょっとグラマーになったんじゃない?
久しぶりに撮らせてよ」
世の中は篠山先生の撮った
宮沢りえさんと
樋口可南子さんの写真集で
空前のヘアヌードブームが
始まろうとしていました
私には無理・・・
そのときはそう思いました
でもその後
「渡辺達生カメラマンで
ワニブックスから
なお美ちゃんの写真集の
話が来てるの」
事務所の社長から
そう言われたとき
なぜか
躊躇することなく
「わかりました」
と返事してしまいました
アイドル時代は
水着姿しか
出したことのないグラビア
そんな私がヌードになることは
かなり話題になると
全てが極秘で進められていきました
いったんOKの返事はしたものの
それからが大変でした
ヘアヌードと言うことで
全身
毛むくじゃらになる夢に
うなされたり
ぷよぷよだった
贅肉だらけの体を
きちんとお見せできる
商品にすべく
ダイエット
禁酒
体操
エステ
撮影までの2ヵ月半
胸とお尻はしぼませないで
3キロしぼるダイエットに
励みました
お酒はすすめられたら
断れないので
食事会にわざと
車を運転して行ったり
写真集のためなど
口が裂けても言えません
そして2ヵ月半後
なんとか減量に成功
360度どこから撮られても
OKなボディ作りの完成です
ふるさと名古屋で
撮影は始まりました
生まれた町
実家
その周辺
そこでは
普通のグラビア撮影でした
モノクロで
雰囲気があり
とても気に入っています
そして
いよいよその日が
やってきました
早朝
緊張しながら
バスローブだけはおって
スタジオ入り
アイドル時代から
よく撮ってくださっていた
達生さんの前で
初めて
バスローブをとりました
「#%$&?*+・・・・・!!!!」
達生さんの第一声
言葉にならない
歓声をあげて
「すっごくキレイだ」と
抱きしめてくれました
それから
ものすごい勢いで
シャッターがきられ
当時デジカメなんて
ないですから
写真チェックは
ポラロイドのみですが
自分もスタッフも
手ごたえを感じていました
そしてそして
いよいよ海外ロケ
私が選んだのは
アメリカ東海岸です
ボストン
ニューヨーク郊外
Mスコセッシ監督の
映画の舞台になった
お屋敷でも撮影
撮影中も食事制限と
ボディーワークは
続けていました
名古屋から始まった撮影も
2週間後に
ニューヨークでオールアップ
その夜は
マンハッタンの
夜景のきれいなレストランで
ひさしぶりのワインと
デザートを解禁
ほろ酔いでした
帰国後
写真セレクトして
たしか7月に出版
タイトルは
「Woman」
私が体作りしている間に
月の満ち欠けによって
体が微妙に変化するのを
感じていました
そして男の人にはない
子宮,Woomというものに女性の心は
支配されていることに気づいたのです
Woom+man
子宮をもつ人
ウーマン
それをタイトルにしたいと
提案しました
世の中
熟女ヌードブーム
大蛇や
豪華な宝石を体に巻いたり
ムチ持ったり
でも自分は
いっさいアクセサリーはなし
メイクもほとんどなしの
自然体勝負
世の中の反応は・・・・?
それは
自分たちが想像していたものをはるかに越えた
大大大反響でした
「あの女子大生アイドルが
脱いだ!!」
世間は
やっと私を
女子大生と言う肩書きから
卒業させてくれました
初めて
身も心も思いきってさらしたその作品は
何十万部も
売れたようです
それからというもの
CM
ドラマ
映画
ミュージカル
初めてのところから
いろんなオファーが殺到し
やったこともない
役柄が広がり
自分の女優人生は
変わりつつありました
いえ
やっと
女優の道を
歩んでいくことになった
そう言った方がいいかもしれません
努力は報われるんですね
でも今思えば
まだまだプロ意識が
足りなかった
せっかくの映画やドラマ
「極道の女たち」
「若者のすべて」などで
悔いの残る仕事ぶりでしたから
そのことは
また次回にお話しましょう
Woman
あなたは持ってますか?
どのショットがお好きですか?
【大切なお知らせ】
9/17のブログで紹介したローカーブ・スイーツは10月初旬からネット通販限定での販売となります。
◆高知県観光特使も継続して務めています。