1985年
この自叙伝
しばらくお休みしていてごめんなさい
あちこちで
先が楽しみ!と
お声いただき嬉しいです
1985年
ある意味
転機となった年
仏ワインでも
偉大な年です
アイドルを卒業したい自分と
アイドルを卒業させたいマネージャーKさんと
卒業させたくない事務所社長3人の
戦いの年でもありました
初めての映画
松竹「旅芝居行進曲」
旅芸人の一座のヒューマンドラマで
古尾屋雅人さん主演
作詞家・阿木耀子さんも映画初出演
私は役者に憧れて一座に弟子入りする
五島列島出身の若い女性の役
熊本・山鹿温泉でのオールロケ
いや~
大変でした(笑)
初めての映画の現場
毎日監督に
怒られてました
でも憧れの銀幕デビュー
忘れられません
そして
初めての舞台出演
ミュージカル
「キュルトヘンの帽子」
「転校生」で映画デビューしたばかりの
小林聡美さんとのW主演
私は妖精キュルトヘン
聡美ちゃんは少年
毎回フライイングがあって
少年と妖精が
舞台上を飛ぶのですが
ある日
背中に装着してあるはずの装置が
目の前でぶらんぶらんしてる
「飛べない」
とっさに判断した私たちは
すぐさま舞台上を
走り回りました
あのときの気転の素晴らしさ
大女優・小林聡美の
へんりんを早くも見た気がします
そのとき振り付けを担当した
中川久美先生とは
去年の「クリスマスキャロル」で
再会を果たし感激しました
女子大生を卒業して
やっと女優への
階段を上り始めた頃
マネージャーKさんとは
ぶつかりっぱなし
もっともっと
本格的女優の意識を
持って欲しい
努力して欲しいと
あせるKさんと
のんびりやの私
あいかわらず
年上のBFとつきあってる私には
彼の教えてくれることが絶対でした
映画
文学
音楽
なんでも知識のある彼に対して
マネージャーは物足りなかった
ある日
「Kさんは音楽聴いたり映画見たり
勉強しないから話が合わない」
そう言うと
かなりショックだったようで
一念発起して猛勉強
「なお美にそういわれて
目が覚めた」
と言いました
その後の
Kさんの成長はすごかったです
20年以上たち・・・
いつのまにかKさんは
ビッグアーティストが所属する
大手事務所の社長になりました
結婚披露宴にも
来てくれた
アイドルから女優へ
いちマネージャーから社長へ
お互いもがき苦しんで
頑張ってきた同志のような存在
いまでもKさんには感謝してるし
大好き
そして最後に会ったときも言っていました
「なお美が最高のライバル」
初めて
渋谷公会堂での
コンサート
アンコールで
Kさんも男泣きしていました
デビュー当時
家賃65000円の1kに住んでいた私も
テラスから赤坂プリンスやニューオータニ
迎賓館の緑が見える
2LDKにお引越し
すべてがキラキラ
輝いていた
でもこれから
幸せも不幸せも
交互にやってくるのです
続く・・・・
大阪 シネ・ヌーヴォ
静岡 ジョイランド三島
千葉 旭サンモールシネマ 2月22日(土)
http://movies.yahoo.co.jp/
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