1984年
デビューして5年がたとうとしていました。
女子大生は卒業したものの
イメージを引きずるように
アイドルのお仕事中心
カティサークのカレンダー撮影のためLondonへ
プロモーションビデオ撮影のため
LAへ
若いうちから
海外飛びまわっていました
ミスDJ卒業後も
レギュラーのラジオ番組は
文化放送や
ニッポン放送で続き
そんな中
年上の音楽関係の彼氏と
こっそり
つきあっていました
毎晩お休み前に
彼と1時間くらい
電話でお喋りするのが日課
当時
携帯もなければ
留守番電話もありません
毎晩マネージャーから
22時には
翌日の仕事の
確認電話が入ります
ちゃんとなお美は
家に帰っているか、チェックの意味もありました
そのときには
絶対家にいなくてはならない
当時
写真週刊誌はありませんでしたが
私の自宅はいつも
記者にはられていました
でもどうしても彼に会いたい私は
朝方マンションを抜け出すのに
「あ
あれで変装しよう」と
ファンの人にもらって
捨てずにしまっておいたセーラー服が
あることを思い出し
髪をおさげにして
ハイソックス
テニスラケットに紙袋
中味は私服です
待ち合わせした
初台の牛丼の吉野家のあたりまで行くと
BMWを運転しながら
彼がやってきて
セーラー服着た
女学生が
変装した私だとなかなか気ずかず
私だとわかるやいなや
わははは
ナオスケどうしたの?と
大笑いしたものです
こうでもしないとあなたに会えなかったから、
と私。
その音楽家の彼は大人で
本業のみならず
映画などにも詳しい
彼からつむぎだされる
言葉すべてがキラキラしていて
ジョークのセンスもあって
長いお喋りもすごく楽しかった
彼との時間が
生きがいだった
ある晩いつものように
彼とお休み前の電話中
「あ、
レベッカが始まる
!切るね」と
一方的に電話を
切られてしまいました
なんでもテレビの洋画劇場で
ヒッチコック監督の
「レベッカ」が始まる
「君も絶対みなよ」と言われ
ベッドそばの小さなテレビをつけたら
その映画は始まるところでした
ぐいぐい引き込まれ
完全にヒロインに
なりきっていました
すごく感動した
映画って
俳優の仕事って
なんて素晴らしいんだと
こんな表現者になりたい
と
あらためて女優を目指す
決心をした瞬間でした
彼のおかげで
ずいぶんたくさん
、それも古いハリウッド映画ばかり観ました
パンををかじりながら
名画劇場で終日
何本も昔の映画を観ていました
そして誕生したLPが
「銀幕のヒロイン」です
阿木曜子さんらに混じり
私も作詞しました
ジャケットも
ハリウッド女優に
なりきった写真ばかり
本格的に女優やる前から
女優願望を
作品で表現していたわけです
この年出した写真集が
「24carat」
女性の年はダイヤモンド、
当時から
そうとなえていました
23歳から24歳になるわたしが
プロデュースした
写真集は
映画のヒロインをイメージ
いまみると
ずいぶん
背伸びしてますね(恥)
こんな可愛い
写真も満載(笑)
このエプロン
五年前まで使ってたな
そんな私に本格的に
映画&
舞台の仕事が来るのは
翌年の事です
◆主演映画「チャイ・コイ」
大阪 シネ・ヌーヴォ
静岡 ジョイランド三島
千葉 旭サンモールシネマ 2月22日(土)
http://movies.yahoo.co.jp/
http://special.movies.yahoo.co.jp/detail/20131025240697/