どーもなおみはなです!


まずは、今回の能登半島地震で犠牲となられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、すべての被災者のみなさまに心からお見舞い申し上げます。1日でも早く平穏な暮らしが戻ってくることを心よりお祈りいたします。


日に日に被害状況が明らかになっていく中で、ボランティアについても報道や、Xで見受けられるようになりました。


私自身、東日本大震災の際、宮城県でボランティアに参加した経験があります。その時に得た教訓をここに残しておきたいと思います。


ボランティアの内容は

①津波の被害にあった墓地の清掃

宗教施設の為、国の支援が届かないとのことでした。7月下旬〜8月頭に行ったので、お盆前に少しでも綺麗にしてあげたい!と思い、みんなで必死に作業しました。


②支援物資の仕分け。ノートや鉛筆などの学用品、図書室用の本がメイン。


この②の支援物資の量が本当に膨大で…

学用品は3〜4教室分未仕分けのものが積み上げられている状態。

本は仕分け途中で、廊下の本棚にびっしり。

これを、新学期が始まる前に子供達に均等に分けられるように仕分けする訳です。(教室が使えるように)(鉛筆5本、ノート5冊で1組みたいな。)


本は新品もあれば中古もありました。同じ支援団体、個人から全く同じ本の新品が30冊くらい届いているパターンもありました。きっと子供に1人1人に行き渡るように、1クラス分送ってくれたんだろうなぁと。

でも、それ誰が1人1人に配るの?1人1人って誰?

しかもそんなのがいくつもある…


小学生なら科目毎にノートの種類も変わるし、学年毎に鉛筆の濃さも違ったりするわけです。

あの量のノート、子供達いつ使い切るんだろうとボランティアから戻った頃に疑問に思っていました。


本の殆どは図書室の本として生かされるけど、それも全部本の詳細(タイトル、作者、種別?、どこから送られてきたから分かる範囲で記入)をパソコンに手打ちして、それを本棚毎に分ける、途方もない作業量でした。


私がボランティアに行った頃は、仮設住宅に住んでいる方はまだまだいらっしゃったけど、街中のチェーン店は営業していたので、必要なものがあれば普通に買える状態でした。


その時に、「今度震災が起こってしまった時は、物じゃなくて募金することを周りにも勧めよう。個人で何かをしようとするのは、簡単なことじゃない。落ち着いたらその地域に旅行に行って、沢山飲み食いして、沢山お土産買って帰ろう。」と、心に決めたのでした。


なので今回はこちらから募金をさせて頂きました。

現地が落ち着いたら、石川県に旅行に行こう!

美味しい魚介沢山食べよ!!和倉温泉もいいよね!

加賀屋も泊まってみたいよね!


東日本のボランティアの時も、地元の方々は沢山の物資に大変感謝されてました!!

応援メッセージも飾られていて、ボランティアの我々も元気をもらっていたのは間違いないです!!!

応援したい!の気持ちは、現地にもしっかり届いていたのも印象的でした!!!


でも、通常の仕事➕日常に戻る準備だけでも大変なのに、そこに山のような支援物資の仕分けもあると、本当大変だなと。(ここでボランティアの力が必要だよね👍)

一旦心を落ち着かせて、今は自分の持ち場で出来ることを、一生懸命頑張れたらと思います!


※通っていた大学が、学生ボランティアの手配を全てやってくれていたので、派遣先、宿泊先もある状態でボランティアに参加しました。


それではまたまた!

さよなら さよなら さよならー!