幸せになりたい、とはよく聞くが

 

 

「どの状況になれば、幸せというのか?」

 

 

というのは

個別のイメージによって変わるだろう

 

 

 

お金を自由に使える環境になることが幸せ、という人もいれば

他人から尊敬されることが幸せ、という人もいるし

家族に愛されて平凡な生活をおくれることが幸せ、といる人もいるだろう

 

過酷な環境に置かれていれば、「生きているだけで幸せ」というのもあるだろう

 

 

 

一言で「幸せ」と表しても

具体的なイメージは人の数ほどある

 

 

 

このイメージというのも

何かしらの情報がなければ具体的にすることは難しい

 

 

 

貧しい環境で育って、お金持ちの生活を知らなければ

「お金持ちになりたい」と言っても、うまくイメージができない

 

常に虐げられている環境で育っていれば

「尊敬されたい」と言っても、どの部分を尊敬されたいのかイメージができない

 

家族から愛情を与えられずに育っていれば

「家族から愛されたい」と言っても、どういった関係性なのかイメージができない

 

 

 

 

人は「知らないものはイメージできない」

 

 

 

口では「幸せになりたい」と言っているけれど

具体的なイメージがないため、いつまでも近づくことができないまま

 

 

 

本気で「幸せ」を求めるならば

漠然とした夢のようなものではなく

 

はっきり、くっきり、想像するだけで自分が幸せな気持ちになるほど

鮮明なイメージが必要なのだ

 

 

 

 

「知らない」というのは「ない」と同じこと

 

逆をいえば「知っている」というのは「ある」に変化する

 

 

 

 

まずは、自分が想像する「幸せ」を実践している人を見ることだろう

想像から現実に変化した時に

「これじゃないな」ということもある

 

そうしたら、新しい幸せのイメージを浮かべ

また、それを実践している人を見る

 

 

繰り返し、繰り返し、の中で

自分のイメージが鮮明になってきたなら

 

 

 

そう時間もかからず、自分は「想像した幸せ」になっているだろう