久々の暴露ネタですw


前回、ダンスの話を書きました。
18歳くらいから始めたダンス、結局26歳くらいまで続けました!


その時の仲間は今でもすっごく大切だし、そこで出逢った数々の先輩、同期、後輩たち、みんなみんな宝物。

そして、輝哉スクールのみなさんは、ファミリー的存在でしたね。
今でもココロに深く深く刻まれた私の大切な思い出です。



さて、その頃、実は
私の子宮は大変なことになっていました。



ダンスをやっていたので昼夜逆転生活、夜はアフタースクールで子どもたちに英語と国語を教えていましたので午前中は夜に備えて寝ていました。


当時のタイムスケジュールはこんな感じ。


11時~12時 起床
起きたら適当にご飯(食パンにマーガリンかマヨネーズとか)
12時~14時 その日の授業の予習
15時~21時 授業
授業の合間に近くのお弁当やさんか近くのレストランでご飯
21時半~深夜 ダンス
途中でコンビニのおにぎりか外食
明け方に帰ってきてシャワーを浴びて寝る




この繰り返し。



これじゃあねぇ。。




当時、抱えていたのは、
生理痛・PMS・子宮内膜症。



でも、これが、まさかライフスタイルと深く関係しているなんて当時は思ってもみなかったです。

お医者さんは、生活習慣を教えてくれず、まず勧められたのはピルでしたので。


無知な私はとりあえずピルを飲んでみました。

でも、結局副作用がめちゃくちゃひどくてすぐに辞めましたけどね。


大学生の頃には、ある日突然お腹が痛くなり、冷や汗が出て立てなくなりました。

友達が
救急車を呼んでくれて、とりあえず病院へ。



診断『生理痛&子宮内膜症』。




泣きながらロキソニンを飲み、痛みを抑えていました。
それ以来、ロキソニンは、『ロキソ様』と呼ぶくらい手放せない状態に。
 

何かあるとすぐにロキソニンを服用し、痛みの根本と向き合うことはありませんでした。


ある日、ダンスのレッスン中に急に立てなくなりました。

腰に衝撃的な痛みが走り、どうしようもなくなりました。

その日はとりあえず寝て、次の日に病院へ。


診断『腰椎椎間板ヘルニア』




それから1ヶ月入院、治療法はブロック注射、またロキソニン、酸素カプセル、でした。


退院してからは当時、鍼灸へ集中的に通い1ヶ月毎日通って痛みはとれました。


それからは激しい痛みはほとんど出てはいませんが、やはり腰は弱いです。



23歳のとき、私は永田町の世界へ。
最初は講師と秘書を掛け持ち。


でしたが、結局秘書業に専念することになり、講師は辞めたのですが、永田町はこの自由な私にとっては最初鳥かごのように感じていて、
ストレスフルな生活でした。


そして、寝ずに仕事へ行くなんてざら・・・みたいな生活。
あーひどい。



毎月の生理になると、仕事を休まなくてはならないくらいの激しい痛みに襲われ、薬を飲んでも精神的にもどん底で、冷や汗も出るし胃液も出るし、食欲も落ちるし、どうしようもないような感じで毎月生理の初日は布団をかぶって寝ていました。



そして、ある日、生理ではないのに生理痛のような激しい痛みに襲われまたまた病院へ。


診断『卵巣嚢腫』。


まじかよ?




池尻にある、安藤レディースクリニックで、先生にここでは無理だからと東京大学の大学病院を紹介され、、、


そこで、当時の院長先生に、手術だと言われ詳しい説明を受けました。


その時の診断『子宮筋腫が3つあります』。

え?
なんじゃそれ?




でも、まだ20代だった私の子宮を傷付けるのは良くないからと筋腫は取らずに、卵巣の切開をして膿腫を摘出する必要があると言われました。


でも、初めての全身麻酔での手術で、しかも、女性の大事な部分。


私が初めて病室でひとり、子宮と向き合った時でした。
28歳の時だったわー。


その当時、結婚とか妊娠とか、考えたこともなかったし、願望もなかったのですが、さすがに卵巣にメスを入れたことで私は将来の自分が不安になり、病室でお母さんの前でだけだったけど、泣きました。


お母さんに言われたこと。
『あなたね、出産はこんなものじゃないのよ?女性はもっと強くならなきゃ』

母は、むくんでしまった私の足をローズの香りのボディクリームで毎日マッサージしてくれました。


当時の私にはわかるはずもなく、お母さんって強いんだなぁ・・・って感じたのを覚えています。



なんて親不孝な娘だろうか。。



おばあちゃんが、お母さんを妊娠したときには、お母さんの卵巣には既に卵がたくさんあり、その卵のひとつが私なんだと、母から初めて聞いたのもこの時でした。


なんて、不思議なんだろう。。

3世代先まで、宿す、そして命を引き継いでいく、ということ。


あぁ、私は子どもを産めるんだろうか・・・?
初めて考えたのは、この病室で母にこう言われてからでした。


頑張っていたダンスをやめ、当時ハマっていたのはヨガでした。


ヨガをするようになり、腰痛の痛みはだいぶ無くなりましたが、生理痛はひどかったです。


子宮内膜症もまだあり、病院の先生にはピルを勧められましたがまたあの副作用に苦しむのは嫌だと思い、当時は拒否をして生理期間はロキソニンを飲んでしのいでいました。


この痛みの根源は一体何なのか、そんなことを考えることはありませんでした。

でも、自分の身体のことを知るために、その時に始めたのは基礎体温を計るということ。

グラフにすると面白いの!

面白いくらい体温が下がった日に、必ず生理がくる!



この身体のメカニズムに感動したのもこの頃でした。


結局ね、私の筋腫は成長して、出産の時には8こ、テニスボールみたいなのも出てきましたよ~!!



その話はまた書きますが、20代の私はとにかくしっちゃかめっちゃかな生活で、そのお陰で私の子宮と卵巣は、とんでもなく悲鳴をあげていたという体験談。




ここに書けない話もたくさんありますが、書ける範囲で書いてみました~。



つづくw