退学
という通告を学校から受けた私。

当時は人生どん底で、人生1番の挫折を味わったようなそんな感覚でした。



さすがに東京に居た父が戻ってきて、先生が家に来て、母を含めて話合いが開催されました。


それまで、いつもいなかった父。
週末に少しだけ顔を合わせるだけで、顔を見てゆっくり話したことなどなかった父と、この時初めて座って話をしたのかもしれません。


『なんでお父さんのために私が我慢しなきゃいけないの?』そんな不満が当時は鬱積していたみたい。
今考えると、なんてワガママな私。


でも、そんな私に父はこう言いました。


『お父さんが政治家をやっていることで
お前にそんなに嫌な思いを
させているというのだったら、
お父さんは政治家をやめてもいい』


父の目にはうっすらと涙が。

今でもはっきりと覚えています。


父に言われたこの言葉に、私は父の大きな愛情を感じました。
衝撃でした。
初めて、ヤバイって思いました。


優しいお父さんに謝らせてしまった・・・


そして泣いている私に、前回ブログに書いた英語の先生が、こう言いました。
『なおちゃん、このピンチをチャンスに変えよう』

今、私が何に対しても前向きでピンチと感じたものに対して“これは何かへのステップだ、よし来い”と思えるのは、先生のこの言葉のお陰。

人間、沈んだら、あとは上がるしかない。
それ以上沈むことは無いわけだから、上を見てあがってくしかない。



当時はこんなことまで感じる余裕は無かったけど、今考えたら私の再出発はこの時だったなと。


そして、父は、『新幹線ののぞみで東京へ一緒に行こう。お父さんと東京で生活しよう。』

そう、言ってくれました。



私は泣く泣く、生まれ育った町を離れ、東京の高校へ転校することが決まりました。



学校側は、退学、追放、と言ったものの、小学校から居た生徒である私をこのまま放ってはおけなかったようでした。
とは言ってもうちでは面倒みきれません、という感じ。



特進クラスからは色紙をもらいました。今でも大切に持ってますよ!
みんなには転校することになったとだけ伝えて去りました。


さて、、
東京で新しい生活が始まった私。

新しく決まった、順天学園高等学校の校風は、地元の高校に比べてとても自由でスカートの丈もうるさくないし、靴下は三つ折りじゃないし、男女共学でのびのびしていました。


田舎では悪目立ちしていた痛い私でしたが、東京という大都会が私を目立たなくさせてくれていました。


ここなら、少々のことやっても目立たなくていいわwって感じでした!爆


父はとても優しく、当時一緒に暮らしていた7つ離れた姉は、私に毎日お弁当を作ってくれ、PTAの会合には母の代わりによく学校へ来てくれていました。


ワガママな私に姉はいつもガミガミ怒っていましたが、あれも今考えると姉の愛情だったんだなぁ。

ちなみに姉は司法試験に10年かかって受かり、今では検事さん。
トントンと人生を渡っていた姉が何回も挫折し、その度に優しく丸くなっていったのを見ていると、やはり人生大事なのは失敗や挫折ですね、と感じたことを覚えています。



だから、失敗や挫折を恐れている人に私は胸を張って言える。
恐くないよ!
失敗を知っている人が成功を手にできるんだよ!
挫折を味わった人が優しくなれるんだよ!




さて、高校3年18歳の誕生日のこと。
誕生日だからと24時間起きているんだ~と張り切っていた私に、父がプレゼントしてくれたもの。

それは、1台のハイヤー。

私を乗せて向かった先は、千葉。

そう、11月18日は、毎年獅子座流星群がとてもキレイに見える夜。

しかもこの年、1998年11月18日は、30年に1度と言われる大きな獅子座流星群が訪れる日でした。

父は夜通し私に付き合ってくれて、千葉まで一緒に大きな流れ星を見に連れていってくれました☆


父と腕を組んでみた大きな大きな流れ星は、今でも目にやきついています・・・❤


父はとても無口。
滅多に怒ったりしませんし、説教じみたことを言われた記憶はありません。


でも、この時以来、父からのメッセージや教えは、いつも私の胸に響いているのです。

もう、お父さんを泣かせたりしない。

心にこう誓った18歳の誕生日。


それからというもの、父から学んだことはたくさんあります。
それは永田町で私が仕事をするようになってから特に。
その話はまた・・・w


つづく・・・w




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