オキシドールで髪を初めて茶色に染めた中学時代。

クラスの人たちからは無視されるわ、先輩から屋上に呼び出されるわ、スーパーの裏で根性焼き入れられるわ、いや~面白い中学生時代でした今考えるとw


この人たち、人を傷付けて何がしたいんだろう?

私の思いはこれ。
私、人は傷つけない、でも先生も学校も嫌い。
だから、学校は行かないけど、弱い物いじめはしない。悪口も言わない。

学んだよね、これでw


そんな感じで、中学校はとりあえず卒業。
無事に高校へと進学しました。

しかし、高校に入ると私は特進クラスへ。
中学3年当時、大学進学を一応希望していたので、勉強だけはしていたんですw


しかし高校1年の時でした、私の愛する校長先生が子宮がんで亡くなったのは。
学校での逃げ場は校長室でした。
小学校時代から愛情を注いでくれていた私の良き理解者であった校長先生は神様のもとへ。

そして校長は別のシスターが。
それ以来校長室へ行ったことはありません。



素晴らしい先生ですよ!今でも手紙のやり取りしています。


でも、当時の私にはわからなかった。

しかし、それと同時くらいに、私の姉の担任だった先生が、イギリスでの任務を終え、高校1年の英語の教師として帰ってきました。
この先生の英語のクラスは大好きでした。
そして、この先生の生徒への愛情の注ぎ方が、私の小学校時代を思い出させました。


しかし、特進クラスのみんなは、中学から上がった人が多かったので、私の居場所はまた無くなっていきました。
今考えると、居場所って自分で作るものよね。

居心地が悪くなるのも、

居場所が無いと感じるのも、

全て自分が悪い。


でも、子どもだった当時は自分ではなく周りのせいにしていたよねw


ただでさえ学校に行きたくなかった私は、
学校に行く意味がわからなくなり、ついにほとんど行かない状態。

昼間学校行かないから暇だったし、寝るしかない。
だから、夜行性になって夜は外へ出ていきました。

おばあちゃんに教わったタバコの吸い方ではなく、堂々と人前でタバコを吸ってお酒を飲んで毎日毎日夜遊びしていました。

お父さんもお母さんもずーっと気がつきませんでした・・・


でも、田舎だから、段々噂になりました。
で、言われるのが

『河村さんちの娘さん、、、』

『お父さんの顔に泥をぬった、、、』

『政治家の娘なのに、、、』


これがしんどかったです。

なんで私だけそんな風に言われるんよ!?

他の友達だってやっとる子はやっとるのに!!!!

なんで私だけ・・・!?!?
(萩弁です)

そして、高校2年生の終わりに近づき、お母さんが私がタバコを吸っていることに気がつきました。
めちゃくちゃ怒られました。
そりゃそうね、とりあえず怒るわね。

でも、とにかく怒鳴るだけで、私と冷静に話してはくれませんでした。

この事を、後に父が本に書いています。


体当たりの教育改革 河村建夫著

(三晃実業株式会社出版部)

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この中に・・・

『冷水浴びせられた次女の“反乱”』

というタイトルで、私のことが書いてあります。(爆)

お母さんは私と中々向き合って話してくれず、夜は追いかけてくるし、怒鳴るし、NO!しか言わない。
これが当時の私には1番キツかったー。
お母さん、ごめんなさい!でも、本当にこれが1番きつかったんだ!

そして、ついに学校から親が呼び出されました。


退学。


でたーーーーーーーーーー。退学。ま、ま、まじ???って感じでした。
でも、学校側は私が小学校からの生徒であること、父親が政治家であることを考慮し、
転校という処分にしてくれました。

ようは、『うちでは面倒見きれません』ということ。

退学でもなく、転校でもなく、、追放

まさかの人生どん底へ、ズドーーーーーーーンって感じでした。
でも、この時に、助けてくれた先生が先ほど書いたイギリス帰りの先生。


それからでした。
父が東京から急遽戻ってきて、先生が家に来て、話し合いが始まりました。

この先に、私と父との感動ストーリーへと続くのです!

はい、つづく・・w





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