6時半に晩ごはん。

今日もダーリンが用意してくれた。

ごはん、味噌汁、いか、いくら、まぐろのお刺身の盛り合わせ。

そして、ダーリンが作ってくれたラタトゥイユ。

やっぱり手作りのごはんっていいな~。

今週は冷凍のお惣菜があるから、晩ごはんを作れなかったから、

それをチンして食べればいい。

安心、安心。

それにしても、ダーリンがこんなに料理をしてくれる人

だとは思わなかった。

これも「太一xケンタロウの男子ごはん」というテレビ番組のおかげ。

ダーリンはこれを見て、料理の面白さに目覚め、

ケンタロウくんのレシピを見ながら料理を作っていくうちに

美味しくできるようになったから、料理が楽しくなってきたと言う。

ケンタロウくん、ありがとう!

そして、一生懸命料理をしてくれるダーリン、ありがとう!




ベッドに横に入っていて考えていたこと。

私には実家があるけれど、そこはどんなことがあっても

行きたくないところだ。

4才から9才までは家族でオランダに住んでいたけれど、

9才から27才まで結婚するまでと、離婚して実家に戻った

32才から36才までと32年間実家に

両親と一緒に暮らしていたことになる。

実家は子供頃は楽しい思い出があるけれど、

何度もうつ病を繰り返す母を母をずっと世話していたこと、

いつも母の愚痴の聞き役になっていたこと、

いろいろと否定されるようなことを言われてきたことと

いろいろ思い出したくないような嫌な思い出が多い。

同じマンションでも小さいお子さんがいる人がいる人は

よく実家に帰っていると聞く。

そこが楽しい場所だから、頻繁に行きたくなるのだろう。

それが羨ましいなといつも思う。

私の周りはそういう仲のよい親子が多い。

でも、きっと世の中には私のように、実家を思い出したくない

場所だと思うような人が意外に多いのかもしれない。




一時期、教会に通おうか真剣に考えたことがある。

小学生の高学年の頃、母にすすめられて、

近くの小さなプロテスタントの教会に

毎週通っていたことがある。

実は、母も仲良くしている伯母もクリスチャンなのだ。

祖父母もクリスチャンで、教会で知り合って結婚したそうだ。

子供の頃から母がたまにピアノに合わせて賛美歌を歌ってくれたので、

教会で歌われる賛美歌を歌うと、なんとなく不思議な、

とても気持ちのよい気分を味わうことができた。




でも、中学生になり、ソフトボール部に入ると、

日曜日も練習や試合があり、教会からは足が遠のいてしまった。

そして、大人になり、全く教会のことを考えずに月日が経ち、

10年前にうつ病が発病したときに入院したM病院(うつ病が再発したので、

入院したところ)がカトリックの病院で、その敷地内に教会があった。

外に出られるようになってから、たまにその教会を訪れ、

その静寂さと教会内に響き渡るオルゴンの音を聴いて、

心を癒していた。

4年前に今住んでいるマンションに移ってきたときに、

近くのプロテスタントの教会があるのを知って、

足を運んだことがある。

真剣に教会に通おうと思ったのだ。

でも、その教会はわりと大きいし、あまり居心地がよくなく、

礼拝が終わるとすぐに外に出てしまった。

こういう人間は新興宗教などにはやりやすいんだろうな、

と思ったりする。

社会人になりたての頃も、アムウェイや自己啓発セミナー

の集会に誘われて行ったことがある。

そのときはなんか怪しいな・・・と思い、どれにも入ることはかった。

私は傷つき、何か心の中がぽったりあいたような、そんなものを

今でも持ち続けているように思う。

何か見たされない・・・愛情をもっと与えて欲しい、という

気持ちが今の私にはある。




ダーリンは思いやりがあって、たまにすごく怒るけど、

その以外は心の支えになっているソウルメイトだ。

ルネにも支えてもらっている。

伯母夫婦や友達も大切な人たちだ。

でも、この何か満たされないものはいったい何だろう?

他の人はこういう気持ちは持っていないのだろうか?

神様を信じているかと聞かれたら、なんとなく信じている、

と答えるだろう。

じゃあ、教会に行ったら、この満たされない心が満たされるだろうか?

教会に行って賛美歌を歌いたい、という気持ちがあるが、

まだ迷っている。

伯母がたまに教会の集まりに行っているのを聞くと、

私も行きたいと思う。

でも、伯母の行っている教会には母も行っているので、

そこには行けない。

なぜだろう、今すごく教会に行きたい。

ネットで見つけた教会が電車にのってうちから30分くらいの

ところにあり、23日にクリスマスキャンドルがあることを知った。

ちょっと行ってみたいな。

ダーリンにその話をしたら、私は考えがコロコロ変わるから、

元気になってからまた話そうと言われた。