昨日から読んでいた酒井典子著の『贖罪』という本を読み終わった。

その感想をもう1つのブログに載せるのに2~3時間かかった。

ふぅ~。

芸能人は成功したあとにどのように生きていくのかで

中年になったときにもその成功を積み重ねていけるかどうかが

決まるんじゃないかな、と思う。

それは一般人の私たちもそうだろう。

私の場合は、1度目の結婚は世間から見たら、

申し分のない結婚だったんじゃないかと思う。

私自身もそう思ってうかれていた。

でも、うまくいかなかった。

それはなぜなのか・・・私は何度も何度もその原因を考えた。

また、父親が躁病になり、母親はうつ病を何度も繰り返し、

兄は2度も離婚をし、私も離婚してうつ病になり、いったい私の家族は

どこまで崩壊していくのだろう・・・と恐怖を感じていていた時期がある。



さっき急にトイレに行きたくなり、便も出てすっきりした。



話を戻すと、なぜうつ病になってしまったのか。

まずは1度目の結婚までさかのぼろう。

1度目の結婚をしたのは27才のときだ。

私よりも1つ年下で、出会いは母が知り合いに

頼んでおいたお見合いだった。

最初は、私のほうが1つ年上で大丈夫だろうか・・・と

不安に思っていたら、「1つ年上の女房は金のわらじをはいてでも探せ」

というでしょう、とお見合いの仲介者の方に諭されて、

それじゃあ、会ってみよう、ということになった。

会ったら、なんとなくいい感じだったのである。




そして、会って3回目でプロポーズされた。

結婚とは、「本人たちだけではなく、お互い家同士も一緒になること」だ。

私は結婚する上で、そのことをしっかり考えないで、

いきおいで結婚することを決めてしまった。

結婚するときに、花嫁と花婿は、「病めるときも健やかなるときも、

お互いを愛し続けること」を宣言するが、27才の私には

その言葉がよく分からなかった。

当時は、結婚しても続けられるだろうと思って始めた日本語教師

というやりがいのある仕事をしながらも、何度も転勤があるであろう

仕事をしている前夫とお見合いをしたこと自体が間違いだったのだと、

今になってみると思う。

今の私だったら、せっかく面白くてやりがいのある仕事を

見つけたのなら、転勤のない男性と一緒になって、

仕事をしながら子育てをして生きていくことを考えるのが

一番よい道だったと思える。

では、なぜ転勤のある人と結婚したのだろうか?



私は両親とは仲が良くなかったので、早くうちを出たくて

出たくて仕方がなかった。

本当なら、うちを出て、一人暮らしを始めて、

それから結婚のことを考えればよかったのだ。

でも、若かったときは自分の人生をいい加減に考えていた。

「結婚すれば幸せになれる」と信じていた。

私は結婚する前、なぜかすごくニューヨークに行きたいと思っていた。

当時『ワーキング・ガール』という女性版

サクセスストーリーの映画を見ていたときに、

無性に日本を飛び出し、ニューヨークに行きたい!と思ったのだ。

キャリアを積むことよりも母と同じように海外赴任の奥さんに

なったほうが幸せになれるんじゃないかと思っていた。

そして、結婚する前に前夫(彼も私と同じ帰国子女だった)から

聞いていたのは、海外赴任に行くかもしれない、

しかも赴任先はニューヨークになるだろう、ということ。

そういう不純な理由で結婚してしまい、後で後悔することになる。



つまり、現実は違っていたのだ。

1度目の結婚では、前夫が出世欲が強かったこと、

早く跡取りを望んでいたこと、前夫が実家にかなり依存していたこと

などで、私は自分自身を見失い、前夫に精一杯尽くしたものの、

さまざまな事情で離婚することになってしまった。

いけなかったのは、前夫が早く子供を望んでいたことをきちんと

考えてあげなかったこと、そして、せっかく日本語教師という

やりがいのある仕事を見つけておきながら、

それを結婚するからとあっさりと投げ出してしまったことだった。




前夫の転職でアメリカにわたってからは、憧れのニューヨークでの

暮らしだったが、日本人が周りに全くいない、誰も知らない土地での

生活をすることになり、初めはホームシックで1ヶ月間

泣いてばかりで、毎日友達に手紙を書いていた。

でも、これじゃあいけないと思い、車を運転できるようになってからは、

カルチャーセンターやESL(外国人のための英会話教室)に

通い始めると、少しずつ日本人やアメリカ人の友達もでき、

仕事で忙しい前夫の手を借りずに、どんどん行動範囲を

広げていった。

少し疲れたので、ちょっとベッドに横になってくる。