朝井まかて
 
大政奉還後の明治5年 山下りん16歳は絵師になると宣言茨城笠間を出奔 連れ戻されるも根負けの母と兄の協力で一年後 念願の画業に励むも師とことごとく衝突の末に 南画 浮世絵など経て西洋画を目指すことになり工部美術学校に入学を果たす

イタリアから派遣のホンタネジー先生帰国の後釜の先生の指導に不満 学友政子に導かれるように神田駿河台のロシヤ正教の教会を訪れ宣教師東北訛りのニコライ主教と出会い洗礼を受けイリナ山下りんとなり

聖画師の修行を積むためにペテルブルクへ派遣される 明治13年12月 過酷な船の旅🚢を経てノヴォデーヴィチ女子修道院にて学ぶものの 思っていた西洋画へのこだわりで聖画には取り組めず 体調不良になり明治16年 2年5ヶ月で帰国  

以降ニコライ主教の元聖画に励むも挫折 一旦は出た教会に戻り“ 芸術性へのこだわりを透徹した果てにの無名性”という聖画〜イコンを描くを全うすることに・・・

山下りん 作〜Googleより
 
となんとまあな その我を通す生き方に憧れさえおぼえ りんにぐいぐい引っ張られて一気に読了 大津のロシア皇太子凶人事件のことなどもあった時代に己を貫く意志の強さ 絵を描く様子にも引き込まれて⭐️彼の地ではヴォトカに酔い 晩年の日本酒2合の晩酌という気ままな暮らし♪これはマネできる⁈^ ^
 
 
サンクト=ペテルブルク エルミタージュ
京都のハリストス教会 行ったのいつだったっけと探してみたり
楽しい読書の連休三日目の今日は何にもせずお買い物に行っただけ 明日は何しようかな〜♪


 
“達者で暮らしなされ、母が祈るのはそなたの無事のみにて候”という手紙に泪しつつ 引き換え私が先日息子に送った手紙✍️のなんと幼稚なと恥ずかしくなったりしながらも
タマートゥ🍅パンのこと麺麭🥖て書くよ^ ^きっとこれから
 おお!5時!!晩御飯の用意しなくちゃ