「自分の言葉で痛みがふっと統合されていく」


🙂私たちには生まれながらに抱えてきたテーマがあり、それに気づかない間はちょこちょこ痛みとして違和感や切なさを感じますが気がつくと終わります。


生活の端々でちょこっとした痛みを出して、そして生存本能でそれが出てこないように感じないように覆いかぶす癖もあるので、それを出すことを難しくしてしまう、本質のテーマを出すことをちょっと避けてしまう。


ホメオスタシスやエゴなどと言われますが、回避行動ですよね〜


私の痛みは「繋がりの無さ」によって出てきて、私に「あらゆる物・事・生命体がつながっていること」が無い現実生活の証拠が目の前にきた時に心身がイタタタ〜😢の反応が出てきます。


ただ、その痛みは自分の本質と違うからこそ出てくるもので、痛みを根拠に「繋がりの無さ」を信じてしまうことはないんです。


子供の頃から痛みを感じていたとしても、そのことが私たちの本質じゃない。信念と外れるから痛いんです。

だから、本質はその反対側にあります。


私にとっては「つながっていること」が本質。

自分の力で繋がりをうまく作れなかった子供の頃の痛みを赦した先に、今度はその反対側を大人になった私が創造するのが生きてる間にできる事です。


だから、痛いからといって心の機能をとって捨ててしまわなくてもいい。気づくまでいつまでも終わらないと絶望してても大丈夫。その痛みを出せる瞬間や、赦される場所が必ずあります。


痛みを出してもいいよ、と言ってくれる人も世界中にいます。


自分の言葉で、何が痛かったのか、痛みを感じて何を信じてしまったのか、そして痛みの反対側には何が待っていたのかを話していこう🌏

あなたの中に、

無くせなかったものがあるはずです。

諦めきれなかったものがあるはずです。

見たかったもの知りたかったことがあるはずです。


だから、痛くても

自分を回復させることをまず選ぼう。

安心させてあげて、生命力が湧いてくるのを待とう。

感情が外に出てきてくれるのをわかってあげよう。

自分に共感してそのままいさせてあげよう。

感じてしまうことを赦してあげよう。


先に心と体の元気を回復させてあげよう。


痛みを受け止められるくらい元気になったら、今度は話させてあげよう。

本当にやりたかったことを自分の言葉で言わせてあげよう。


全ワタシが聞いて受け止めてくれます。

大丈夫。


ちゃんと生きてるよ。


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昔の自分へのお手紙でした。

あの時の私よ、今元気に生きてるよ〜^^🍀


sunao