宮菜穂子オフィシャルブログ「菜時記」Powered by Ameba -1859ページ目

チャリンコ旅、その参。のつづき

旅2日目。


@備中高梁。

宿泊は老舗の油屋旅館。

その昔、父が泊まり、寅さんロケ隊が泊まり、河合継之助が泊まった場所。

今日だけフンパツ。


越後藩士河合継之助がはるばるこの地へやってきたのは、

山田方谷を訪ねてのこと。

方谷生誕の地であるこの小京都高梁を、夕飯までの間じっくりチャリる。
お宿


この地は昔から高梁、松山というふたつの地名をもっていたという。

城と武家屋敷をいうときは、松山。

城下町を言うときは、高梁。

明治二年、ややこしいので、高梁に統一。

しかし、今でも名残でその城を言うときには松山城、というのだそうな。


その松山城。

日本一高い場所にあるお城。

そう、城が山や丘につくられるというのは鉄砲伝来以前の常識。

たしかに、登れど登れど土塀すら見えない。

これでは弓でも鉄玉でも射程圏外だよ・・・。

あまりの急斜面と日暮れの早さに途中で断念。


頼久寺にむかう。

小堀遠州の初期のころの庭園。

枯山水の小さな庭園を眺めながら、吹き抜けの畳の上で大の字。

誰もいませんから。

風と夕陽と静けさ、鳥の声にしばしネムネム。


頼久寺


ナイスはばかり。

街の真ん中を流れる高梁川。

その疎水の周りに桜が三部咲き。


紺屋町筋

街は旧暦のひなまつりの前日とあって、どこの家にも大きなひな壇。

軒先にはかわいらしい飾りが。

学習塾が↓↓。

学習塾!

武家屋敷通りには両側に白壁や土塀の家々が連なっていたが、

こちら商家筋には豪商の家や蔵が。

高瀬舟もある!

鉄道開通まで、豊かな高梁川は人荷の舟運で栄えた高梁。

陰影のある深い確かな城下町。


方谷を尋ねる継之助、確かこの高梁を目前に涙したはず。

吉備の月・・・と口づさみながら。

そんなことを思いながら、宿へ引き返す。


冬と春のおいしさを独り占めした、それはそれはおいしいご飯。

油屋は時期ならば鮎で知られる。

それはまた次回の楽しみに。


山田が住んでいた開墾屋敷、今はJR伯備線が通っている。

その名も、方谷駅。

人名が駅名になった唯一の駅。(昭和3年開通)

明日はそこを通るのだ。


・おまけ(散歩の途中で)

えっ・・・