授業
昨日は、上智大学の外国語学部なかの科目、
「演劇入門」という講義枠のなかの講師のひとりとして、
お話をしてきました。
このお話をいただいたときは、
なぜゆえに、わたし?とかなり腰が引けておりましたが、
じっさいに、教室にいってみると、
それはそれは、楽しい時間でありました。
この科目の担当である英語学科の東郷先生の、
あたたかいお人柄とツッコミとに助けてもらいました。
イスパニア語学科でお世話になった先生方もいらしてくださり。
不出来な学生としては赤面するばかり。
でも嬉しくて、パチリ。
![$宮菜穂子オフィシャルブログ「菜時記」Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20121201/10/naoko-miya/ae/04/j/t02200165_0800060012310654147.jpg?caw=800)
まだまだ、いまだ、まだまだ、
と思うばかりの稽古や本番の日々のなかで、
ふと、初めてふりかえってみると、
もう、10年もこの仕事を続けているのだということに、
時の流れを感じます。
でもまだ10年。
10年前は教室に座って辞書と格闘し、
クラスメイトに助けられ、なんとか学生をしていたのです。
この講座の堂々たる講師陣のなかで、
私が語れることは少ないけれど、
卒業生として、
演劇というものを、
今の学生と分かち合えることは少しはあるような気がして、
お喋りをしてみました。
英語、仏語、独語、ロシア語、ポルトガル語、イスパニア語、
それぞれを学ぶ学生を前にしていると、、、
外国の戯曲、古典から現代のものまで、
まだまだ私たちの目にふれていないものがたくさんある。
翻訳劇のおおいなかで、どんどん新しい戯曲を発掘し、
どんどんわれわれの言葉にしてっいってほしい、
舞台に出る側の人間ではあるけれど、
なんだかそう思った時間でした。
もっともっと日本語で書かれた戯曲が、
日本語で上演されてゆくことはもちろん必須ですが。
戯曲のうしろがわにある、
その国の歴史、文化、生活、すべてを加味して、
われわれの言葉にして、
演劇を通してその国をわかち、
そして人間の普遍的なものをみつけていくこと、
そんな作業がもっともっとおこなわれたら素敵だなぁと。
そして、わたしもその一端をになえるように努力をしなければ、
と心新たにしたのであります。
先日まで「端からの眺め」で一緒だった、
そしてその前にはtptの「血の婚礼」でご一緒した、
斉藤直樹氏(わたしはナオキングと呼んでいます)は、
英語学科の卒業生で、
本当にマルコのまなざしで授業に遊びに来てくださいました。
![$宮菜穂子オフィシャルブログ「菜時記」Powered by Ameba-__.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20121201/09/naoko-miya/fd/3d/j/t02200161_0640046812310626935.jpg?caw=800)
(真ん中のチラシは直樹さんの次回出演作)
いろいろな意味での先輩であるナオキング、
わたしはその発想の面白さと豊かさにいつも驚かされます。
これも、パチリ。
いろいろな出会いの日でした。
「演劇入門」という講義枠のなかの講師のひとりとして、
お話をしてきました。
このお話をいただいたときは、
なぜゆえに、わたし?とかなり腰が引けておりましたが、
じっさいに、教室にいってみると、
それはそれは、楽しい時間でありました。
この科目の担当である英語学科の東郷先生の、
あたたかいお人柄とツッコミとに助けてもらいました。
イスパニア語学科でお世話になった先生方もいらしてくださり。
不出来な学生としては赤面するばかり。
でも嬉しくて、パチリ。
![$宮菜穂子オフィシャルブログ「菜時記」Powered by Ameba](https://stat.ameba.jp/user_images/20121201/10/naoko-miya/ae/04/j/t02200165_0800060012310654147.jpg?caw=800)
まだまだ、いまだ、まだまだ、
と思うばかりの稽古や本番の日々のなかで、
ふと、初めてふりかえってみると、
もう、10年もこの仕事を続けているのだということに、
時の流れを感じます。
でもまだ10年。
10年前は教室に座って辞書と格闘し、
クラスメイトに助けられ、なんとか学生をしていたのです。
この講座の堂々たる講師陣のなかで、
私が語れることは少ないけれど、
卒業生として、
演劇というものを、
今の学生と分かち合えることは少しはあるような気がして、
お喋りをしてみました。
英語、仏語、独語、ロシア語、ポルトガル語、イスパニア語、
それぞれを学ぶ学生を前にしていると、、、
外国の戯曲、古典から現代のものまで、
まだまだ私たちの目にふれていないものがたくさんある。
翻訳劇のおおいなかで、どんどん新しい戯曲を発掘し、
どんどんわれわれの言葉にしてっいってほしい、
舞台に出る側の人間ではあるけれど、
なんだかそう思った時間でした。
もっともっと日本語で書かれた戯曲が、
日本語で上演されてゆくことはもちろん必須ですが。
戯曲のうしろがわにある、
その国の歴史、文化、生活、すべてを加味して、
われわれの言葉にして、
演劇を通してその国をわかち、
そして人間の普遍的なものをみつけていくこと、
そんな作業がもっともっとおこなわれたら素敵だなぁと。
そして、わたしもその一端をになえるように努力をしなければ、
と心新たにしたのであります。
先日まで「端からの眺め」で一緒だった、
そしてその前にはtptの「血の婚礼」でご一緒した、
斉藤直樹氏(わたしはナオキングと呼んでいます)は、
英語学科の卒業生で、
本当にマルコのまなざしで授業に遊びに来てくださいました。
![$宮菜穂子オフィシャルブログ「菜時記」Powered by Ameba-__.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20121201/09/naoko-miya/fd/3d/j/t02200161_0640046812310626935.jpg?caw=800)
(真ん中のチラシは直樹さんの次回出演作)
いろいろな意味での先輩であるナオキング、
わたしはその発想の面白さと豊かさにいつも驚かされます。
これも、パチリ。
いろいろな出会いの日でした。