英国王のスピーチ | 宮菜穂子オフィシャルブログ「菜時記」Powered by Ameba

英国王のスピーチ

『英国王のスピーチ』@世田谷パブリックシアター
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演出・鈴木裕美 上演台本・倉持裕

映画館に見に行きました、「英国王のスピーチ」。
とってもアレクサンダーテクニーク的な要素が入ってるのだなぁ、
そんな風に呑気にみていた記憶があります。

これ、もともとは舞台用に戯曲として描かれたものなんです。
それが、映画が先になった。
その後イギリスで舞台上演され、
今、日本で上演されるという運び。
翻訳は倉持さん。
イギリスの上演版を踏襲しながらも、
日本のお客様の共感をえられるよう絶妙に加減されて。

本読みの時、
なんと面白い、なんとウィットに富みシニカルで、
そして温かい人間ドラマなのだと、
読み物として十二分におもしろい、
これが立体化したらどうなってしまうのだ、と思いました。

そう、わたし本読みの日から、一幕の立ち稽古にが終わるくらいまで、
稽古場に関わっておりました。
もうそれはワクワクな日々でありました。
選りすぐりのベテラン俳優陣と演出の鈴木裕美さんのかけあいといったら。
もったいなくてポットに保温して残しておきたい日々でした。

そして今日、初めて本番の舞台を観劇。
会話の絶妙さ、時代のヒタヒタと流れてゆく緊迫感たるや。
政治家たち、つまり話すことに長けている人たちと、
役者や王のように、話さなければならない人たち、
それぞれの役割、使命。
男を支える女性という役割、その使命。

誰ものぞんで悪者ではなく、何かに欠けているのではなく、
その信念がゆえに、何かを守ろうとしているがゆえなのだという運命。
身分をこえて、小学生の男の子同士のように信頼感を増してゆく、
ライオネルとバーティ。
登場はしないけれど、あれだけエドワードに愛され、
はたからは揶揄されるウォリス・シンプソン夫人とは。
英国史のなかに、世界史のなかに確かにその人たちはいた、
そういうふうに思わされました。

シンプルだけど人間が書いてあるドラマ、
どうやったらこんなふうに書けるのだろう。

稽古中、当時にまつわることについてはずいぶん資料をみましたが、
確かにこれは史実であり、
今日見た舞台で起こっていたこと、そこに生まれていた、
目にみえないたくさんの関わりあいは真実でした。

そしてまたあらためて、美術、照明、場面転換のなんたる素晴らしさ、
舞台空間の威力に驚かされ、
そして音楽にしみじみ心を動かされ。
前に、カフカの「変身」を見たときにも芝居にはいってくる
パーカッションの凄さに驚き入ったのですが、
やはりあの時と同じ美女、朝里さんでした。

いやはや、笑いって泣いてあったまる、
プチ英国旅行に行った感もあり。
本当にいい時間でした。

9月9日まで三軒茶屋の世田谷パブリックシアター。
その後大阪での公演もあります。
ぜひ。