頭がゼロになった日。 | 宮菜穂子オフィシャルブログ「菜時記」Powered by Ameba

頭がゼロになった日。

フェスティバルトーキョーのオープニング作品。

『宮澤賢治/夢の島から』
構成・演出:飴屋法水、ロメオ・カステルッチ

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予想外に早く終わった稽古場からダッシュで夢の島へ。

宮沢賢治をモチーフに、夢の島の野外円形場で、
1000人以上の人を巻き込んで
おこなわれる演劇とは。

賢治のなにかが語られるということではなく、
賢治のいた時間、
賢治のみた世界、
賢治の脳内を、
今現在の我々が過ごす、という体験だったような気がします。

前半のロメオの作品では、
今ここにあること、
生きのこっていること、を問われ。

後半の飴屋さんの作品では、
巨大な地底からの建造物や天空に浮かぶ人工物を眺めながら、
歴史の中でくりかえし人々が心に抱く、
また幻想として現実の上に塗り重ねてしまう、
夢の島、
賢治の言葉でいえばイーハトーボを問われ。

木々に囲まれた夜の広い円形の場所で、
視界は横に横に伸びながら、
風が強くて、頭上には雲がずんずん横にながれてゆき。
その上にいくつもの星がまったく動かずにそこにありました。

都会の埋め立て地の真ん中で、
千人を超える人たちと、無防備に寝そべりながら、
一つの演劇をみる。

頭上がパッカリとあき、
唯一信じられる存在は、空の天井動かぬ星と、お尻の下に感じられた地面。

自分の縦軸がとんでもなく宇宙の中に上下に伸びてゆく体験でした。
中世の人みたいだ。

時間軸と距離の軸が縦横無尽に張り巡らされ、
四方八方から押されてもいないのに窮屈なバリアをはる日常。
そこからパカっと放り出されたような、感覚の90分。
そのあいだの思考は不思議とめぐっているようでゼロだったのかもしれません。

なんとも不思議おもろい体験で、
これを毎夜過ごしたら、賢治くんになってしまうのでは、
と思うのでした。
多大なメッセージをうけとりつつ、
頭はすっかりゼロになる。

これF/Tの仕組みがしりたいぞ。
東京都民として。

作品の詳しい内容はまた後日。
とりあえず、明日は最終通し稽古なのです。
もどれ、日常へ。
普通の空間へ。