『風が強く吹いている』 | 宮菜穂子オフィシャルブログ「菜時記」Powered by Ameba

『風が強く吹いている』

『風が強く吹いている』@ル・テアトル銀座

原作:三浦しをん 演出:鈴木裕美


私が身体を整えに通っている医院には、

近所のおばちゃん、ロック歌手のお兄さん、

踊る人、そして、陸上競技の選手、さまざま通う。

でも、スポーツに携わる人、長距離の選手が圧倒的に多い。


箱根を目指す人、箱根をひかえる人、

一年を通して、カーテン越しに聞こえてくる彼らのナマの声。

厳しい、ストイックなナマの声。

それが、私のここ数年の、箱根とのかかわり。


ハムが痛いとか、ダイテンシがおかしいとか、

セッチのバランスがおかしいとか、内臓がカタイとか。

50m12秒の私、その彼らの痛みの訴え用語はまったくわからないし、

そこまでしてなぜ走る、なんのために走る、

いつもカーテン越しに我問我答。


そして毎正月、見てました。

なぜ走る、ヨロめきながらもなぜバトンを繋ぐ、と。

これが、私のここ数年の、箱根駅伝とのかかわり。


『風が強く吹いている』、は箱根を目指す大学生の話。


こういう小説があるとは知らなんだ。

走るという、単純な行為に秘められた、

ありとあらゆる可能性、夢、ドラマ。

こみ上げるものがウップウップと。


普通、急ぐから走る。

でも、走ることが「普通」、の人も走る。

その時、その意味、その意義とは。

繋がれる、襷の重さとは。


駅伝の中継では語られることのない、

無言の時間。

つまり選手の走っているときの思い、

襷を繋ぐ瞬間の思い、

この2日間にかけてきた思い、

表舞台十人のその裏の何十人の思い、

それが、ていねいに描かれ、伝わる、

ナマナマしい舞台でした。


走ること、駅伝が演劇になるのかい、

舞台にトラックでも、箱根山でも建てるのかい、

そう思ってました。


しかし、今日見たのは、

走るという行為のとってももとの部分、

マラソンでもなく、トラックでもない、

大手町~箱根を駅伝するという行為のもとの部分。


「オレは、十分の一なんだ」

そんな台詞がありました。

「君、走るのは好きかい?」

そんな台詞がありました。

このうえなく、演劇的な作品だなぁと思ってしまったのでした。


膝の怪我を承知で走った主将が、足を引きずる姿には、

映画「ブロードウェイ、ブロードウェイ」に出てきたキャシー父を彷彿。

♪what I did for loveと歌いたい気分。

・・・それはやりすぎですが。


急ぐためではなく、ただ単純に走ってみたいなぁ、

そう思いました。

何がそこから出てくるかしら。

繋ぐ何かが出てくるかしら。


なんとはなしの走る行為、箱根中継、

少し距離を狭めてもらえたような。


十人十色、まさに言葉の如く。

学生と社会人のはざ間の、

もっとも自由でありながら大人になりきれない、

微妙な時間、大学生。

出身、出自、志、傷の数、

異なる人と浅くも深くも関わりあう、大学生。

その大学生という面白き時間の凝縮、

見せつけられました。


discipline、そんな言葉が浮かんでは消え。

鈴木裕美さんという監督の下のdiscipline。

箱根とは別のドラマが、

この芝居作りのなかでもあったのではないかなぁとも想像。

きゃっ、裕美さんとの稽古が待ち遠しい。