今の私になるまでのストーリーです。
せっかくなので、
ぜひお付き合い頂けたら嬉しいです。
1983年12月5日、父親そっくりな顔で生まれました。
東京ディズニーランドの開園と同年、そしてディズニーランドの生みの親ウォルトディズニーと同じ誕生日です。
4人家族の長女で、父(現在は他界)と母、ひとつ下の弟がいます。地元は山と海に囲まれた田舎だったので、遊び場には困りませんでした。
幼い頃は地べたにしゃがみ込んでコツコツ砂粉を集めたり、お気に入りのお人形を背中にくくり付けて自転車を走らせたり、好きなことを好きなようにする女の子でした。
小学校の高学年では、女子あるある、クラスの女の子に虫や仲間外れにされるという経験をしました。
「ひとりぼっちの学校に行きたくないー」と思う日々。周りの人たちは楽しそうなのに…私が面白くない人間だからかな…と思い悩むようになります。
運動はまったく苦手でしたが、その頃は少しぶっ飛んだ空手道場に通っていました。
登山やキャンプをしつつ真冬は海や滝に入るので、空手はへたくそなまま精神的な経験値は上がりました。「富士山のてっぺんで朝日見たよ」が私のプチ自慢です。
そして、中学や高校では自分らしさって何だろう…と自問自答します。そのうち勉強に励んだり経験が増えるにつれて「悩みは行動して解決しよう!」と動けるようになります。
思い付いたのが、楽しそうな人を研究して真似ぶこと。
初めから上手くできないけど、まずは行動することが大事!ぎこちない真似が少しづつ自分の一部になり、今の私のモトになっています。
変わろうと思えば人は変われるんだ!と感じた経験です。
そして運動神経のない私は、消去法で勉強に力を入れるようになります。
テストで良い点をとるのが楽しかったのもありますが、それを継続できたのはテストを持ち帰ると喜んでくれる家族がいたからです。
家族、特に母はわたしにとって大切な存在です。
人付き合いや交友関係を築くのが苦手だった私が、悩みながらも大きく道を外れることなく無事に健康に育ったのは本当に母のおかげだと感謝しています。
忙しくても寝る時間を削っと作ってくれたご般若お弁当。わがままにも辛抱強く付き合ってくれたこと。どんな時も自分より子ども優先の母親っぷりは真似できません。
大学では新しい友人やサークル活動、アルバイトなどで大学生らしい日々を送ります。
近所のおばちゃんから「今が1番良いときよ~」と声を掛けられていました。
当時の自分はどんな顔で過ごしていたのかぁ?と思ってアルバムを開くと、四角いエラ張りの顔ではあるけれど楽しそうに笑っていました。