知的生産の技術 | 現在と未来の狭間

現在と未来の狭間

文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

岩波新書、梅棹忠夫著、『知的生産の技術』をあと少しで読み終わる。古い本だけれど、最初に読んだのは会社に入って2年目だったと思う。思考の生理学が考えを整理する本だとすると、こちらは勉強の仕方を分かりやすく丁寧に書いたものである。

但し、初版が古くパソコンが存在しないことが前提で書かれている。

情報の整理の仕方としてカードの活用をこの本では示している。この本で取り上げられている情報カードは、京大式カードとして市販されている。B6版の大きさで、丸善など大きな文具店では今でも売っているはず。この情報カードはパソコンが登場する以前で、情報を整理するための最強ツールだった。

勉強をしたりする時、普通はノートを使うがノートに記載する内容は全て時系列に並ぶことになる。閲覧する時に情報を時系列で追う事になり、目的の情報を探すのに手間が掛かる。

カードであれば、1枚のカードに1件の情報を書くようにして、これを箱に入れて管理する。順番は好きなように並べ替えることができるのであいうえお順で索引シールを付けておけば、後から情報を探し出す事が容易になる。

また、作者は情報カードの他に日本語の筆記についても提言をしている。それがカナタイプライターである。和文タイプというものがかつてはあった。これはポータブルの活字清書マシンと言ってもいいかもしれない。活字の入ったボックスが5箱くらいあってこれを交換しながら目的の漢字を探し、綺麗で読みやすい活字文章を作り出すもので、日本語ワープロが登場するまでは主力であった。しかし如何せん出来上がりに時間が掛かる。そこで漢字を使わず限られた文字のみを使うカナタイプライターが登場する。

カナを公用文字にとかローマ字を公用文字にといった運動はかつては盛んに行われていた。どうもこの本を読んでいるとみんな漢字を使うことは非効率と思っていたらしい。西洋にはタイプライターという効率的な筆記用具があったことに対し、当時の日本では手書きが普通である。カナだけにすれば日本でもタイプライターを筆記具として使うことができるという発想だった。

この本にはパソコンはおろか初期のワープロの存在すら出てこない。実はパソコンが登場すればここに書かれていることは簡単に解決できそうに思える。だから今の人がこの本を読むと面食らうかもしれないが、でも逆にパソコンがない状態で情報処理の基本的な事がすでに考えられている事がすごい。

確かにパソコン1台があれば、情報カードを遙かに凌駕できる情報量の管理はできる。検索することも容易いけれど、手軽さや閲覧性ということで考えるとカードは実にシンプルで使いやすい。パソコンと同じ情報量のカードがあったら確かに邪魔だと思うけれど、身近なものから情報整理方法を思いついたのが素晴らしい。

パソコンは便利だし理屈の上では情報管理、情報処理の最高峰のようになっているけれど、本当に使いやすい管理方法ってきちんと確立されていない。できる子なのにね。まだちゃんとした正解を出せていない気がする。

タブレットは少し正解に近いのかな。でもあともう少しかな。