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みぃたんと忍者たなかーず

 さて事務所に入るときに社長がすぐに名刺をつくってくれた。

 それは肩書は「放送作家」であった。

「なるほどザワールド」の仕事を始めてしばらくして、社長が「放送作家じゃおかしいだろう」と新しく名刺を作り直した。

 その肩書は「リサーチャー」となっている。

 そもそも一般の人がリサーチャーと言う活字を見て、何だろうと思うに違いない。

 わざわざ直すほどのことかという気もしたが、誰かがそう支持を出したのかもしれない。

「なるほどザワールド」の仕事に関して言えば、うちの事務所からは新人君と、一応事務所が抱える放送作家の女の子の二人。

 女の子が他にどんな仕事をしてるのかは知らないのだが、一応放送作家という肩書で参加している。

 実際毎日会うのは新人君だけで、女の子もよそ者の放送作家も会うのは会議の時だけだ。

 会議がどんな感じだったか、あまり記憶がないのだが、とにかくダラダラとした話し合いで、なんか素人みたいのばかりだなと思った。

 まああれでもほとんどが何年も「なるほどザワールド」の仕事をしてきているのだろうが、実際いわゆるテレビの最後に作家として表示されるのは、あの中の2,3人だろう。

 どれがその作家なのかは結局分からなかったが、とにかくテーブルを囲んでいる中に本当の放送作家は混じっていないようである。

 だとしたらそもそも名刺にしてもわざわざリサーチャーにする必要性などない気がするのだが。

 そう、彼らはみんな放送作家として活動しているのだろうが、厳密に違いはない。

 じゃあ逆に取材の時、リサーチャーと書いてあると何のことか相手は理解できないのではないだろうか。

 まあ会議というのがほんとどうでもいいような内容で、ただ拘束されて、「なんか意見は?」とか言って、誰も何も言わないので、「じゃあ、順番に」といって、それぞれなんとなくアイデアを出すみたいな感じである。

 テーブルが二つあり、上手のテーブルにはプロデューサーや、ディレクターがいるのを見ると、上手がメインでその中に本来の作家がいるに違いない。

下手のテーブルはなんだろう?取り合えずの寄せ集めだろうか。

たまにプロデューサーがやってきて、「どう?」みたいなことを聞きに来る程度だ。

まあそれぞれが意見を出し合うと、本当、なんかいまいちな感じが否めない。

うちの女の子の作家なんかは、「誰とかはほんと、レベルの低い意見しか出さない」とか、「あれで何年目」とか辛口の意見ばかり新人君と話をしていた。

 なんていうか、よく企画会議なんかに主婦とか女子高生とかをかき集めて好き勝手に話をさせるみたいな、そんな感じの会議である。

 まあそんな中からきらりとしたアイデアが出たりするのかもしれないが、残念ながら私のいた間にはお目にかかることはできなかった。

 実際あれならよそから作家、雇う必要ないんじゃないという意見も出てたのだが、大いに賛成である。

 私が辞めさせられた後、「やめたせいで大忙しだ」と言われたが、そもそも一人抜けたくらいで忙しくなるような仕事をしてないじゃないかと思った。

 

 収録も数回重ねると、タレントは誰も私に声をかけてこないなということが、よく分かった。

 とにかくやたらと目は合うのだが、それ以上は踏み込んでこない。

 こっちは立場的には芸能界の最下層にいるようなものだから、そんな殿上人に声をかけでもしたら、何を言われるか分からないので、せいぜい収録を見ている程度なのだが。

 一度だけ収録中に、答えをしてるので、愛川欽也が質問してるときに答えを教えてやると、多分聞こえたんだろう。

 なんか聞こえてないふりみたいな感じで、そこまでいったら誰でもわかるだろうという状態になっても答えをはぐらかそうとしていた。

 へえ、聞こえてるじゃんと思ったが、次の答えを間違えて覚えてたので、嘘を教えてしまう状態に。

 そして誰かが正解を答える。

 あれ?という表情をしたが、しまった。答えを間違えて覚えてたと思い、一緒に見てた新人君に、「あの問題、答えそうだっけ?」と聞くと、「そうですよ」と言う。

 それっきりなんか冷めちゃって、嫌がらせをするのはやめたのだが…。

 

いわゆる当時は「なるほどザワールド」はフジテレビでも看板番組だったので、新番組が始まる前にいろんな番組対抗みたいのは、「なるほどザワールド春の祭典とか、秋の祭典とかいう感じで行われてたので、一度高輪プリンスホテルでやるときがあった。

当時の売れっ子がいっぱいいたのだが、実際あまり覚えていない。

ビートたけしがチラッとこっちを見て、目を合わさないようにといった感じでいなくなったのと、とんねるずが多分、気が付いたんだろう。以上にテンションがアゲアゲになっていたのを覚えている。

石田弘たちもいたのが分かったのだが、そりゃいるよなと思った程度だ。

「この後飲みに行くぞ」と大声で叫んでいたのだが、どうせ私を誘ってるわけじゃないだろうと思い、はしごを抱えて通り過ぎるのをなんとなく眺めていた。

 すると、「もう帰っていいよ」と誰かに言われたので、帰ることにした。

 深読みをすれば、あのままほっておくと石橋が私とつるんで飲みに行きそうなので、フジテレビの誰かが帰っていい指令を出したとも思えるのだが、さすがにそれは深読みしすぎかなと思わなくもない。

 ただ新人君が「もう帰るの?」となんか、もっといたほうがいいんじゃないのという感じで、「さっきその辺にとんねるずいたけど」みたいなことを言ったのが、変に気にはなっていたのだが、結局帰ることにした。

 まさかねえ…。                                                          

 いつものパターンだよな。

 そう思いながら、まあ、また機会があるだろうと納得させた。

 当時としてはよくフジテレビのせいで2兆円くらい損してると言っていたのだが、その試算が、だいたいこんな感じだったと思う。

 当時はまだやる気も若さもあったので、実際一日に10から20くらい話を思いついていた。

 ただ実際それを書くとなると、短編ならとにかく普通の長さだと、どんなに急いでも1週間くらいかかる。

 そこで常に分業制を取り入れようと最初から思っていた。

 分業制を取り入れても、一日形にできるのは1から2,3じゃないかと考えていた。

 あとは丸投げするにしても、それが限界だろうと。

 では何をどう配置するのか、ハリウッド映画、アメリカのテレビ、ブロードウェイ、日本のドラマ、映画、そして漫画の原作。

 一冊丸ごと全部自分の作品で、作画だけ変えてもいいと思ってた。

 そのために自分で出版社をつくり、流通は大手に任せればいいだろうと考えていた。

 まあ、分業制ならそれくらいは行けるに違いないとして、当時ハリウッド映画で興行収益ランキングみたいのがあって、1本あたり、800億円とか、そんなレベルであった。

 ミュージカルのヒット作で、1兆円くらいが目安になっている。

 だとすれば、当時はまだ5,6年くらいの損で計算してるので、ざっくり2兆円くらいだろうと考えたのだ。

 この場合純利益ではなく、あくまで収益で考えて、そのくらいは楽にいってるだろうというのが、私が言う2兆円の損という試算である。

 当時、それを言い過ぎだろうという雰囲気はまるでなかった。

 当然日本ではそんな裁判、きっと損害賠償数千万とかいう感じになるのは分かっていた。

 じゃあアメリカでその裁判を起こしたら、勝算はあるのではないか。

 当時であればハリウッド映画で成功する可能性はかなり高かったので、成功したらすぐにアメリカで裁判を起こし、日本で株主代表訴訟に持ち込もうと、かなり具体的な情報が実際漏洩していたことは間違いない。

 だからこそかなりフジテレビの役員という肩書を持っている人間は私の問題に関してピリピリしていた。

 問題が起こった時、マスコミで話題になるのはせいぜい1か月くらい、それ以上になるとなんとなく忘れ去られるような風潮があるので、フジテレビではなく、フジテレビのスポンサーに一斉に苦情電話やファックスを送るようにと、いわゆる私の隠れファンには声をあげていたはずである。

 実際いくらカメラ越しに訴えても行動に起こす人はいないだろう。

 ああいうのはテレビカメラを通して訴えないと、きっと一般人は誰も行動はしないだろうと思っていたので、早くテレビに出なくてはと思っていた。

 実際ただの一般人と、ハリウッドで成功した日本人とじゃ、同じことを口にしても影響力も違うし、例えばハリウッドでフジテレビのことを口にすれば、世界中にその悪名は広がり、世界中から苦情が押し寄せるに違いないと考えていた。

 まあ、この辺まではフジテレビのスパイがいるので把握していたかもしれないが。

 今となってはそんなこと認めるとも思えない。

 まああのフジテレビを訪れた日のアウェイ感はそのせいかもしれない。

 

 じゃあそもそもフジテレビが私に仕事をめぐんでくれたのは、なぜなんだろう?

 いきなり最下層業界人のレッテルを張られてしまったのに、深い意味はないのか?

 まあ、きっとないと信じたい。

 王プロデューサーはよくやってくれた。

 あのアウェイの中。

 ただフジテレビという組織の中で、結果として私を再起不能にまで追い詰めてしまったのは、なんとも残念である。

 私の記憶が間違いなければ、私がフジテレビの受付で毎日門前払いに会っていた時、一度、突然声をかけてきた二人組がいる。

 そこはテレビ局の玄関だったので、フジテレビの社員じゃないのかもしれないが、「君、何だったら、紹介してあげようか」と声をかけてきた人間がいる。

 違うかもしれないが、それが王プロデューサーのような気がしてしょうがない。

 私の性善説がそうあってほしいと思わせてるのかもしれないが。

 まあ、とにかくあの時は、何で毎日追い返すんだ。大概にして覚えろよ、毎日同じ時間に来てるんだからと、石田たちを疑ってもいなかった時期なので、どこの誰かも分からない人間が紹介してあげようかと言っても、いえ、もう話はついてるんでといった感じで、断ったのだが。

 まあ、その頃すでに有名人だったから、どこかのタレント事務所の社長さんとかだったのかもしれないが、とにかくまああれが王プロデューサーだとすれば、どこかでフジテレビという組織の圧力がかかったのだろう。

 まあこれも性善説で考えたならばの話だが、実際はフジテレビからとてつもない圧力をかけられることになっていく。

 

 

あの後オウム真理教がマスコミにファックスを流し続けて妨害するみたいなことが起こった時、これは真似してるんじゃないだろうかと思ったのは確かだ。

 オウム真理教は当時テレビによく出ていたので、十分に知りえる立場にいたからだ。

 その辺の真意は分からないが、きっとこんな感じになるのかなと思った。

 まあその頃は私はすでに再起不能になっていたと思うが。