私のもう一人の曾曾祖父は
益田孝で、十四の頃、外国方
通詞として麻布山善福寺に
詰めていた。

今から百四十六年前の話です。



当時、寺はアメリカの領事
館でタウンゼント・ハリスが公使。

ひいひいおじいさんは
外国語を学びながら彼の
メッセンジャーボーイをしていた。

彼の公使に対する尊敬は
並ならず、のちに記念碑
まで建てたほど。




経歴を調べると、ハリスは
中学卒業後、独学で語学
習得、兄の輸入業を支え、
後年ニューヨーク市の教育局長
になります。

貧しい子供たちの教育向上
のため、フリーアカデミーを創設
するも家業が傾き辞職、
サン・フランシスコにて貿易商を
はじめる。



おそらく当時、オランダや
フランスが占めていた日本市場
に食い込むためでしょうが
猛烈な運動をして初代駐日
領事の座を得ます。

船は下田に上陸、いろいろ
揉めたけれど、幕府と日米
修好通商条約を締結し、約
六年麻布で公使を勤めた。





曾曾祖父の回顧談によれば
わけへだてのない人で、
下の者にも丁寧に接した
らしい。



領事館の厨房には珍しい
食材が並び、特に孝さんは
牛肉の塊に惹かれた。


同輩と忍び込み、うすーく
削いで焼いて食べる。

あんまりおいしいから、
削いで焼くを繰り返す。



肉は痩せ、事は露見。
ただじゃすまないと覚悟する。


ある日、人を介して公使
より伝言が。

削いで食うな、ステーキで
たべるんだから。
欲しい時は料理人に言い
なさい、と。




並の苦労人じゃ、こんな
言葉出ません。

孝さんにとって最初に接し
た外国人がハリス公使だった
のは幸運で、それから彼は
ますます語学習得に励み、
御一新後、海外との貿易で
身を立てました。


[ むかし ] 08/10/30 (木)