今日町を歩いてたら、作業服の
おじさんが塩を撒いていた。


坊主頭で一見こわもて。



おそらく、これから乗るはずの
トラック前の右左、バッパと
手慣れた風に撒いていた。

清めの塩なんだろうけど葬式帰り

以外で目にするのは珍しい。




そこで考えたのは、果して現代に祟りや

呪いは成立するのか、ということ。



複数の人が、ある場所で辛い
死に方をし、その思いが地層の
ように積み重なる、ってことは
あるだろう。


これは想像しやすいし、実際
そんな場所に迷い込んだことも
あります。




生きたまま怨念を送る、となると

厄介でしょうね。


効き目が出るまで途方も無い時間と

労力がかかりそう。

勘だけど。




その人一代で無念を晴らせる
保障はないから、子供から子供へ

恨みのバトンを渡す。


バトンの受け渡しを繰り返せば

どうしたってエネルギーの逓減は避けられない。



その為、子孫にも別の呪いを
用意せねばならない。


「祈祷をさぼるとシワシワに
 なって死ぬ!」とか。

でも子孫全員が、それに
付き合ってくれるとは限らない。




核家族化がとうに完了している現代。

土地、家屋敷、財産を持って
いなければ一族の離散は避け
られない。



固定資産税。

これを支払う為、家業も発展
させなくてはならない。

難事業であります。




昨今では皆さん堪え性がないから

すぐ実力行使に出る。

刃物や銃やライターで簡単に
欝憤を晴らす。



そう考えると呪いは
真面目ですね。


こつこつ、人知れず努力を重ね

それでも成就する保障はない。


現代日本で呪いを成立させる人、
ほとんどいないんじゃないかと
思います。





これが天罰になると、そこまで
言い切れない。

天罰っていうか、バチですね。



福沢諭吉。

「福翁自伝」という本で知った
話です。



先生は子供の頃、地元のお社を
襲った。

なぜなら皆が根拠なく拝むから。


それほど偉いものなら
我にバチを与えてみよ、と
お社を打ち壊した。

実験のつもりでしょうが、
実にイヤな子供です。



結局何もなかったと、文中で
笑っておられましたが、やはり
バチは当たった。



それは、なにか。
一万円の肖像画になった事です。


生涯、金に淡泊であろうとしたはずの
先生が金そのものになってしまった。

聖徳太子を差し置いて。



本人が「諭吉三枚で…」などと、
人の言い様を聞けば、怒りで卒倒する

のではないか。



だからやっぱりバチはある。
ような気がします。

えらく時間はかかるけど。


[ 妄想 ] 07/06/11 (月)