ゲームは1992年の年末に発売された。


作業を進めていく間に、やはり今期内に

出すのは無理と判明し納期を延ばして

もらい、ようやく製品になる。


スーパーファミコンが世に

出て一年。

大きなタイトルも発売され、皆の関心は

ファミコンから離れてる。

でも発売にこぎつけた。



五年を越えた製作期間は当時でも珍しい。


まだ業界にのんびりした雰囲気が残っていたから

中止にもならず発売できたのだと思います。


今はゲーム雑誌の発売予定欄に
二年三年店晒しのタイトルは、
ほとんどありません。



各ゲーム会社の株式上場はもう
少し後の話で、個人商店の気配が

強い業界だった。

一山当てるべ、って社長多かったです。


短期で少人数で開発して売り逃げるのが常道で

それが崩れたのはRPGが茶の間に普及してから。


時間かけて作っても、RPGなら儲けが出る

と勘違いして各社が作り始めた。


作ったはいいが、今度は世に同じジャンルが

溢れ利は薄くなる。

ヒドいゲームも堂々と売られる。
で、会社潰したりして。


でも、その腰の軽さというか
おっちょこちょいなノリが好きで

最近そういう会社が少なくさびしい。





Wさんからゲームを渡される。

場所は、しょっちゅう二人で飲みに行く

新宿の酒場。

紙袋から、まだインクの匂いが
しそうな箱を出す。
開けてロムを取り出す。


白くて四角く、通常のものより大きい。
基盤が特殊だから。


軽く振り、端子部の匂いを嗅いで箱に戻す。


箱をカウンターに立て

私達は乾杯した。




無事発売されとても嬉しい。

けれど、作っている時の

嬉しさにはかなわない。



布団に寝転び、ゲームをしながら
「俺ならもっと面白い物
 作れるのにぃ!」
と悶えていた素人の頃。

痛い光景ですが、当人は本気で
そう思っていた。


夢叶い、現場に入れるようになりその場所で

空気が吸えるだけで嬉しい。


嬉しいけれど、一人で出来る事の

少なさに戸惑うばかり。

いくら会心の台詞を書いても、
絵、音、プログラムが揃って
やっと、ゲームになる。


どの職分が欠けてもゲームは
成り立たない。



だから皆が息をあわせ最善を
尽し、それでも面白い物が出来る

保証はない。でも、作る。

不要不急、
「なくっても、なくっても」いい
物を、精魂込めて作る。



何が嬉しいか。


作ったものが、自分の意図以上の物に仕上がった時。

たまらない気持ちになる。

ひとりの考えに、もうひとりの
考えが交じりあう。

新たに命が吹き込まれ、キャラが動き出し

ゲームは始まる。


これは震えます。




1997年を最後に、私はゲームから離れました。


喜ぶべきか悲しむべきか、一番
印象に残った仕事は、このファミコンのゲームです。


今でも忘れることができない。