一昨日、昨日とで

「誕生日」に関する投稿を

5回も見たので、

誕生日について思うことを

書いてみます。

 

 

 

私は昔、

イタリアに住んでいました。

 

イタリアでは

誕生日を迎える本人が

パーティーを企画し、

人を招いて

ご馳走をふるまいます。

 

 

 

この風習を

素敵だなあ

と思っていました。

 

 

 

私たちは、

たくさんの人たちの助けがあって

日々、生きています。

 

ですから、誕生日は

また1年、

無事に生きることができました。

皆さんのおかげです。

ありがとう

…と、周りの人たちに

感謝する機会。

 

それを

イタリアの人たちはわかっていて、

体現しているなあ

と思います。

 

 

 

日本では、

ある程度の年齢になってきたら

誕生日に

もう、

おめでたい歳でもないけれど

などと言う人がいますが…

 

私は、

それは、ちょっと違うのでは

と、昔から思っていました。

 

 

 

みんなのお陰で生きてこられた

という感謝がないし、

「また1年、がんばった自分」への感謝

もない。

 

 

 

そもそも、

若い方が、人としての価値が高い

…という認識は

おかしい。

 

身体機能は

衰えていくにしても、

それって

人としての価値が減ること

なのでしょうか?

 

 

 

 

 

…話を戻して。

 

でも、日本のように

周囲の人がお祝いを企画するのも

素敵です。

 

生まれてきてくれて、

人生を並走してくれて

ありがとう

…と、これまた

感謝を伝えることが

できる機会

ですよね。

 

 

 

 

 

「生まれる」ことについて

思うのは…

 

師である大鈴佳花先生がよく

私たち生徒のことを

あなたたちは、勇敢な魂

と言ってくださいます。

 

 

 

そうなのか!

…と思う時もあるし、

くじけそうな時などは

他の皆さんはそうでも、

私は違うんじゃないか?

…と思ったりします。

 

 

 

私は、物事を

深く考えない面があるため

この世に生まれる時も

私、できます!

行きます!

…なんて、調子良く

立候補したんじゃないのか?

と思ったり。

 

 

 

 

 

私が生まれるときは

難産だったそうで

12時間ぐらいかかり、

母は失血が多く

気を失いかけたそうです。

 

 

 

もちろん、母と私の

身体的構造も

関係していたかもしれませんが…

 

いざ、この世に来てみたら

やっぱり、できそうにない!

帰りたい!

…と思って、

出てくるのを

ためらったのかなと思います。

 

 

 

 

 

…いずれにせよ。

 

今世、

たくさんの大切な方々と

出会うことができました。

 

この世の仕組みについても

知ることができました。

 

 

 

たくさん繰り返してきた

輪廻の中でも、

今世は、ひときわ重要な回

だったのではないかと思います。

 

 

 

残りの時間を

悔いなく生きていきます。

 

 

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