線香花火について、私は高校時代に、さだまさしさん(以下、敬称略)の「線香花火」の歌を聴いてから、花火の中では、線香花火が一番好きな花火になっています。高校時代に感じた大変、ロマンチックで儚い線香花火の印象は今でも変わりません。

 線香花火の1シーン(松葉)

 

◆時期的には少し遅くなりましたが、ある冊子に「日本のものづくり・線香花火の文化を絶やすわけにはいかない」と題して記事がありましたので、線香花火について、考えてみました。

 その中に、

「うつろいを愛でる・江戸の人は線香花火の変化を身近な植物に例え、そのうつろいに人の「一生」を見ていました。」

「世界各地に花火はありますが、線香花火を楽しんでいるのは意外なことに日本人だけ。」

「わずか0.1グラムの火薬で、繊細な変化を表現しているのも線香花火の魅力。火をつけてから落ちるまでの変化は人の一生にも例えられています。」

 ⇒わびさびの感性が日本人にあるからでしょうね。

「1本1円の外国製と比べ、国産の物は1本50円。しかし、それだけの価値が国産の線香花火にはあります。線香花火の良し悪しは、火薬・和紙・撚(よ)り手で決まります。国産の物は、美しい火花になるよう絶妙な比率で松煙(しょうえん)を混ぜた火薬が使われ、それを包むのは薄くて丈夫な和紙。最後に一つ一つ丁寧に職人が撚って完成させます。外国製と比べると差は歴然。火をつけた時の繊細な表現も、国産の線香花火だからこそできるのです。」

 ⇒最近は線香花火をしていませんが、一昔前の記憶では、線香花火が昔に比べて、落ちるのが早くなっている感じがしていたのは、これが原因だったのですね。(安いものを買っていたと思います。)

 及び、「線香花火のうつろい」

【1:牡丹】

 線香花火(「牡丹」の状態)

ジリジリと爆発しそうなエネルギーを秘めている様は、人生の中では社会に出る前の学生時代。大きく花開く牡丹のように希望に胸をふくらませている。

 

【2:松葉】

 線香花火(「松葉」の状態)

パチッパチッと勢いよく火花を散らす様は、社会に出て仕事や家庭で様々な経験をする青年期寒さの中でも力強く青葉を繁らせる松葉の姿に重ね合わせる。

 

【3:柳】

 線香花火(「柳」の状態)

全体から角が取れ、火花が丸みを帯びてくる様は、知識や技術、人格共に円熟を迎えた時期。まるで風に身を任せてしなやかにそよぐ柳の枝のよう。

 

【4:散り菊】

 線香花火(「散り菊」の状態)

チリッチリッと音を立てて細い火花の線が1本、また1本と伸びる様は、第一線を退いた後の穏やかな老年期。高貴な菊の花に例えられる。

 

ここでは、線香花火の一生を、

 「牡丹」⇒「松葉」⇒「柳」⇒「散り菊」 (⇒「散り菊(完)」)

と表現し、区分していますが、ほかにも、

 「蕾」⇒「牡丹」⇒「松葉」⇒「散り菊」

としているところもありました。

私は、最後に「散り菊(完)」があっても良いと感じています。最後の「ジュッ」の前の一瞬です

こうみると、僅か十数秒の短時間に素晴らしい世界があると改めて感じることができました。

 線香花火(散り菊(完))

 

◆線香花火には2種類あり、西日本地域では芯棒が藁(わら)の「スボ手」、東日本地域では芯棒が和紙の「長手」タイプが一般的であったようです。私は関西出身なので、子供の頃の記憶では、「スボ手」でした。昔、西日本地域は、藁が入手しやすかったのが理由の様です。

 「スボ手」タイプ線香花火

 

 「長手」タイプ線香花火

 

◆そして、さだまさしの「線香花火」の歌詞です。

ご存知の方も多いと思うのですが、私が高校時代から印象に残り好きな歌詞の部分は、

 「きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる 露草模様を信じたんだね」なんですが、目を閉じると、その情景がそのまま浮かびます。

 「例:浴衣の帯の露草模様」

 

 ほんとうの「露草」

 

 露草の葉に止まった「蛍」

【歌詞】

  ひとつふたつみっつ流れ星が落ちる そのたびきみは 胸の前で手を組む

  よっついつつむっつ流れ星が消える きみの願いは さっきからひとつ

  きみは線香花火に 息をこらして

  虫の音に消えそうな 小さな声で いつ帰るのと きいた

 

  あれがカシオペア こちらは白鳥座 ぽつりぽつりと 僕が指さす

  きみはひととおり うなずくくせに みつめているのは 僕の顔ばかり

  きみは線香花火の 煙にむせたと

  ことりと咳して 涙をぬぐって 送り火のあとは 静かねって

 

  きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる 露草模様を 信じたんだね

  きみへの目かくしみたいに 両手でそっとつつむ くすり指から するりと逃げる

  きみの線香花火を 持つ手が震える

  揺らしちゃ駄目だよ いってるそばから 火玉がぽとりと落ちて ジュッ

 

この歌詞の本当の意味は、未だに理解できていません。恋人と思うのですが、理解は難しいです。

しかし、若い2人が線香花火をしながら、会話する情景描写としては、そのまま頭の中に浮かび、高校時代からの理想でした。

やはり、さださんの詩は素晴らしいですね。いつまでたっても・・・

以上