意味を求める衝動

自己実現を求める衝動の

一つだそうです。

 

ユダヤ人医師で

ナチスに捉えられ

強制収容所に入れられた

ヴィクトール・E・フランクル

という方がいました。

こんな人です。

この方は

「夜と霧」という本を

書かれました。

 

人間は自分の行いや

人生に起きることに

意味を見出してこそ

生きられる。

と主張されています。

 

例えば妻を亡くして

悲しみに暮れた男性が

「寂しくてつらいが

 自分が長生きしたから

 妻に配偶者を失って

 生きていく苦しみを

 味合わせずに済んだ」

と生きる意味を見出した。

すると男性は

妻に先立たれた寂しさに

耐えて生きていく事が

できるようになる。

 

このお話は

傾聴の本に

書かれていたものです。

でも

この本にも

登場した方です。

以下はガネーシャという

ゾウの顔をした神様の台詞です。

「フランクル君は収容所の

 過酷な日々を過ごす中で

 生き延びるものと

 そうでないものの違いを

 見つけたんや。

 それは夢を持ってるか

 どうか。

 やったんやな

 夢を持たず

 自暴自棄になった人間は

 貴重な食料を

 タバコと交換してもうたり

 朝が来ても

 ベッドから起き上がろうとせず

 そのまま亡くなってもうた」

当時のナチスの収容所が

どれほどのものか

私も想像ができません。

そこで写真を1枚

お見苦しい写真で

すみません。

でも自暴自棄になっても

不思議はありませんね

こんな過酷な状況を

見たうえで

もう一度

ガネーシャの台詞です。

「一方フランクル君は

 強制収容所の労働を

 しながらも

 こんな想像をしとった。」

「突然、私は煌々と明かりが

 灯り暖房のきいた豪華な

 大ホールの演台に立っていた

 私の前には

 座り心地のいいシートに

 おさまって

 熱心に耳を傾ける観衆。

 そして私は語るのだ。

 講演のテーマは

 強制収容所の心理学」

「フランクル君は

 収容所を生き延び

 その経験で得た知見を

 人に伝えることを

 夢みとったんやな」

「夢は生きる上で

 空気や水や食べ物より

 大事になることが

 あるんやで」

 

苦しくてつらいことが

あっても

受け止め方によって

耐えられたり

絶望の淵でも

目的や夢が

生き延びることが

できるんですね。

 

今度辛いことがあった時

この話を思い出せたら

と思います。

今日はこのへんで

最後までお付き合い頂き

有難うございました。