わたしのプロフィール
神平奈々
東京生まれ、東京育ち。
3人姉弟の長女。
怖がりで泣き虫。でも好奇心旺盛でイギリスに留学経験あり。
「お姉ちゃんなんだから」
この昔から使い古されたフレーズが
最近までわたし自身を縛ってきたとは
露知らず
「頑張ることは良いことだ」
そう信じて生きてきました。
転職すること8回。
初めて努めた会社が入社して1年未満で倒産。
それ以外にも派遣切り、コロナ切り、上司のパワハラ
などなどなど
今思えば
「頑張ることは良いことだ」
そう自分の人生の中で設定してきたからこそ
「立ち向かわないといけない困難」みたいなものを
無意識に自分で呼び寄せていたんだと今なら分かります
いきなり「倒産」の話で驚かせてしまいましたが(笑)
わたしの仕事人生としては紆余曲折ありながらも
30歳手前くらいまでは順調にいってたんです
転職しながらも好きな英語を使ったり
ビジネススキルを磨いたりとかやってきてたんだけども
気づかないようにしてたけど
29歳のときにあることが
浮き彫りになってしまったんです
それは何か?
それは、「自分が大嫌い」ってことでした
もともと、いじめられっこだったり自己肯定感は低い方でしたが
ありありと感じることがその年齢になるまでなかったんですね
私は営業事務をしていたんですが
そこで初めて
「君が何を話しているのか理解できない」
って1人だけじゃなくて何人にも言われてしまって
今考えればそもそもその会社の雰囲気と自分が合ってなかったんだけど
そこで初めて
「今までの転職で得たスキルが全く通用しない」ってことを味わって
しかも、畳み掛けるように
その翌年の春「東北大震災」が起こって
私は地震が起きたこと時点で怖くて縮こまってしまって
まったく機能しなかったんです
その時初めて
「無力感」ってこういうことかってぐらいに
自分が動けなかったことに対して
落ち込んでしまって
自分てどんくさいな、情けないな
そう思いました
その日は自分の家に帰宅出来ず
友だちの家までなんとか電車を乗り継ぎ
帰宅したのですが
友人に
「総務なのに何も出来なかったよ。とっさの判断が出来ないわたしって」
って話をしたところ
「でもさ、さっき信号待ちしてたとき、前に止まってた
ママチャリが倒れそうになってたのを
なおちゃん、とっさに支えてたじゃん。
とっさ、ってそういうことを言うんじゃないの?」
そうなのか。
会社では出来なかったけどないわけじゃないんだな。
その出来事は
私にとってはとても大きくて
「もういいかげん自分のこと好きになりたい。
出来ることと出来ないことのすみ分けがしたい。
そのために、自分のことをもっと知りたい。」
これが「心理学」の扉を開くきっかけの
出来事でした。
これは、2011年のこと。
最初はクライアントとして、
そのあとは
「心理カウンセラー」になるため半年間、養成講座を受けました
受講を終えたのが2014年。
そこから起業にはなかなか踏み切れませんでした
当時、ふつうに事務員をしてお金を貰ってましたし
ボーナスもたくさん出る優良企業だったため
そこのお給料を手放してまで起業するって??
そもそも起業ってどうやんの??
働き方改革が叫ばれる前のことなので「起業ってどうやんの?」が
自分の日常と結び付かず
仕事の一貫として人事的な立場になれたらいいなー
くらいにしか考えられませんでした
そこから1年。
わたしは、辞表を会社に出し、
「辞めてどうするの??」の
上司の質問にまったく答えられず
引き留められ、辞職を諦めました。
それからの1年間は「辞めるにしても、次のステップを探そう」と
「自分の気持ちと向き合う1年」として過ごしました
そう過ごすうち
2016年の5月
ある心理カウンセラーさんの講座を受けたとき
最後の質問の時間で私はこう言いました
「いいですよねー、皆さんは。
私は心理カウンセラー養成受けてるけど、心屋仁之助さんの弟子が作った講座の受講生で、
本筋ではないし、認定とか受けてるわけじゃないし」
質問じゃなくて愚痴に近かったと思います
養成講座を受けた後、
わたしは自分の師匠と仲たがいをしてしまって
「心理学なんて二度とやるか」
そう思って、貰ったテキストを捨ててしまっていました
このことは起業をすぐやらなかった理由の1つでもあります
だから
順当に認定を受けて講師になっている人たちが羨ましかった
その思いを察知したのかその時の講師は
「てゆーか、カウンセラーやりたいんでしょ?
ぜひ、やってみてください」
そんな言葉をかけてくれました
その言葉を素直に受け取った私は
またもや上司と面談
「心理学がごにょごょごにょ」
どんな話をしたのかは
もう覚えていないのですが
今抱える総務的な仕事をやるのがつらい
そんな話をしたかと思います
そうしたら、上司は
「じゃあ、最初からこの会社にミスマッチだったのかもしれませんね」
ちゅどーーーん(ノ-_-)ノ~┻━┻
自分の中の何かが
ガラガラと壊れる感覚がしました
ミスマッチだったかもしれない会社に6年半。
わたしの人生って・・・
そこから、心療内科を受診。
「適応障害」と診断され、3ヶ月休職したのち退職。
1年前にあれだけ
「何のために辞めるのか?」分からず
引き留められて辞められなかった会社が
1年後にすんなり辞められちゃっている
そんなミラクルに遭いながらも
わたしの起業生活はスタートしました。
会社を辞めて起業したのが7月末。
その年の9月にイベントに出展。
それが初めての
「お客さんからお金をいただく」成功体験でした。
でもね、このあたりから徐々に
「心理カウンセラーが起業する上での壁」
にぶち当たります
当時は
心理カウンセラーとして起業してひとり立ちするためには
「先輩もしくは、代表からブログで紹介してもらってそこから顔を広げていく」
「お話し会となど、参加しやすいイベントを企画して参加してもらって、お客さんを増やしてゆく」
そんなやり方が主流でした
だけど、上で話した通り
わたしはお師匠さんと仲たがいをしていて
当時一緒に受講をしてた子達も
「あなたが悪い」と
あまり聞く耳を持ってくれなかったため
連絡も取れないし、取りたくありません
なので
2016~2017年当時のわたしは
自分が興味を持ったイベントに片っぱしから参加して
「自力で顔を広げる」ことをしてました
そんなことをやっていたからこそ
そのときどきで出会う人たちに
「どうやってブログ書いてるんですか?」
「申し込みフォームはどう作れば?」
「アメブロのあの機能ってどうやる?」
などなどなど
色んな情報収集をすることが出来ました
その当時に知ったビジネスの基礎知識は今も役に立っています
ただ、盲点だったのは
基本的に、カウンセラーがカウンセラーのお客様になることは少ない
ということでした
だって
基本的には自分の持つ知識で整理できてしまうから
当時はそう思っていました
そんなことに模索しながら活動していたら、気づいたら
「カウンセラー業界の中で人脈を作る、お友達を作る」
そんな本末転倒な目標に刷り変わってしまい
目標がブレブレなわたしにお客様が集まることもなく
家賃が払えなくなり、破産。
そんな自分を受け入れたくなくて親の電話を数か月、着信拒否するも
最終的には滞納していた家賃を払ってもらい
生活保護を受けながら、なんとか復職。
それが2018年。37歳のときでした。
父が借金していたこともあり
「私はそうはなるまい」
そう思いながら人生設計したはずなのに
気づいたら、自分もじゃん。
なんて恥ずかしいんだろう。
情けないんだろう。
こんなはずじゃなかったのに。
色んなことを考えました
だけど、踏みとどまれたのは
「まだ職場でやり残したことがある」
「心理学やスピリチュアルだけに頼らず、地に足がついたやり方で働いてみよう」
「やっぱり会社としてビジネスを成り立たせるって、めちゃくちゃエネルギーがいるし、お金もかかる。
すごい奇跡みたいなことだったのに、感謝が足りなかったな」
ものすごくつらい出来事だったけど
学ぶことや気づかせられたことは
たくさんあります
今はその経験や反省点も踏まえつつ
ちゃんとお金を回したうえで
やりたいことを自分らしくやっていこう
そうこころに誓い、カウンセラーとして
活動を再開しております
そして今魂が震えるほどに
やりたいのは
「心理カウンセラー」として
昔の私みたいに
「自分が大嫌い」と思っていた人たちが
少しでも自分を好きになったり
欠点を受け容れて
相手のことも受け容れて、少しでも前を向けるように
サポートすることです
それはかつて
「自分大嫌い」と決め込み
カチコチに硬かった価値観を
ふさぎこんでいた視野を
たくさんの失敗をしながらも自分の欠点や良さを受け容れてきて
等身大の生き方を出来るようになった
私、なおちゃんだからこそ伝えられることが
たくさんあるからです
私から言えるのは
人間誰でも
「生きなおそう」
そう思ったときから
いつでも始められるんだ
大事なのは
そう思ったじぶんの気持ちにふたをせずに
できることからトライしてみること
その手伝いができるように
あなたをここで待ってるよ
(⋈◍>◡<◍)。✧♡
最後まで読んでくれてありがとう
これから、よろしくお願いします
2023年12月1日
神平奈々