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意外と難しいというのは生きているとなんとなく分かる。

最近見かけるのが、何者かになろうとして有名人やニュースで見た今どきの人に憧れて、丸パクリとも言えるような形で安定した生活をかなぐり捨てている方々だ。(某動画投稿サイトにて、企画や動画の構成が全く某人と完全に一致している人、タイパ・コスパを意識した労働にとらわれない某配達員生活 etc...)

 

個人の自由な生き方だし外野がとやかく言うことではないのは重々承知の上だが、自分の中にある欲求を追い求めて安定を犠牲にするということは今に始まったわけではない。歌手、芸能界、スポーツ。いろんな分野での夢追い人は存在していた。

 

それらはリスクはあるものの業界の歴史があり、ある程度人生におけるライフプランみたいなものを計画する全体像みたいなものはあると思うが、新しい働き方にはそれが無く全くの未知数であることに変わりはない。

 

話がそれたが私がここで述べたいことは思いつきで流行りに乗り、今ある生活を捨てるイマドキな人たちはかなりもったいないことをしているように思われる。資本主義経済では行動の自由はほとんどが当人の資本力によって定まってくる。

 

お金を稼ぐために時間を割きすぎてプライベートに充てる時間がなければ本末転倒であるという主張はとてもわかるし、私もそう思う。だが、その考えがいきすぎてしまうと前述したような生き方を選んでしまう傾向にあるのではと感じた。

 

一般的に、人生はそんなに刹那的なものではない。イレギュラーなことがない限りまだまだ人生は続いていくのだ。”今は満足できているからこの暮らしでいい”というのは自分の将来を見据えていないことの裏返しになるし、自由な生き方ができていると思っていても、本当は限られた資本の中での限られたわずかばかりの自由を得たつもりになっているだけやも知れぬという勘違いが怖い。(知らぬが仏とはこういうことか)

 

生活に不満が出てきたとしても中年に差し掛かった人間が一念発起して普通の生活を取り戻そうとするのは用意ではないのは火を見るよりも明らか。一部の人を除き、自分の生き方や考えが確立出来るまでは皆と同じく会社員をしているのが無難だ思う私でした。