40歳で通信制大学を卒業した中江有里が思い出す児玉清さんの言葉「人間は50から。そこから努力した人が伸びる」
2/4(金) 11:12配信 文春オンライン

 15歳で芸能界デビューしてから女優はもちろん、脚本家、作家、書評家としても活動の幅をひろげ、ひとつずつ夢をかなえてきた中江有里さん。内向的だった幼少期、4つの高校を転校し卒業したアイドル時代、本がライフワークだと気づいたNHK-BS「週刊ブックレビュー」。「自分は、ウサギではなくカメ」という中江さんに、これまでの人生の転機を伺いました。(「文藝春秋」2022年1月号より)


 


【写真】児玉清さんとのツーショット「私の人生の宝です」

◆ ◆ ◆
 

すごく無口な子だと思われていた
 

生後5か月。一昨年亡くなった母と。「病気になるまで、母はずっと働き詰めでした」

 本好きになったきっかけは、まだ小学校に上がる前に、お医者さんの待合室で見たマリー・ホール・エッツの『わたしとあそんで』という絵本です。「遊んで」とは言えない内向的な子だったから心に残ったんでしょうね。何度も繰り返し読みました。

 小さい頃から、本を読んだり、ストーリーを考えてひとりでおままごとをしたり、ひとり遊びが大好きでした。頭の中ではいろいろ考えていて、言葉はいっぱいあるのですが、それをあえて外には出さなかったので、すごく無口な子だと思われていました。


早く社会に出て家計を助けたい


 小学校4年生の時に両親が離婚することになり、父と母のどちらと暮らすかという選択を迫られました。あまりに母が憔悴していたので、母のもとにいて支えなければ、と母を選んだのですが、4歳下の妹とも離れたくない。妹も一緒に引き取ってと母に頼み、結果的に母には負担を強いてしまったのですが、今でも妹とは強い絆で結ばれています。

 離婚してからは、母が、早朝に仕事に出てしまうので、私が妹を起こして食事をさせ学校に送り出して自分も学校に行くという日々でした。そんな中で自然に無邪気な子どものままではいられなくなり、自分の欲求を言う前に、相手が、大変なのかなとか忙しいのかなと考えてしまう癖がついて……。自分でも驚くくらい、反抗期もなかったですね。

 叔母のすすめでオーディションを受けるようになり、15歳で芸能界入りを決めたのも、早く社会に出て家計を助けたかったから。当時、鎌田敏夫さんの「男女7人夏物語」などのドラマが大好きで、脚本家にも憧れていたのですが、芸能界に入れば、同じ「表現」の世界だから道が開けるかも……という思いもありました。

 

15歳で大阪から上京


 上京し、ひとり暮らしをして、歌や演技などのレッスンを受けます。アイドルを目指したわけではないのですが、アイドル的活動が多く、マルチに何でもできなければならないし、自己管理、自制心も必要。友だちと遊ぶ余裕もありませんでした。仕事も次第に忙しくなり、学校は4つの高校を転々として20歳で卒業しました。最後に通った通信制の都立新宿山吹高校は私の最新刊『 万葉と沙羅 』の舞台にもなっています。

 私は器用なタイプじゃなく、母からもよく「あなたはウサギじゃない、カメだ」と言われていましたが、自分でもそう思います。でもカメでも諦めなければゴールはできるんです。


「NHK大阪ラジオドラマ脚本懸賞」で最高賞


 28歳の時、ある映画に出演が決まっていたんですが、撮影1週間前に中止になり、ぽっかり2カ月スケジュールが空いたことがありました。その直前に、「NHK大阪ラジオドラマ脚本懸賞」の募集記事を新聞で見つけてなんとなく切り抜いていたんですが、「そうだ、空いた時間を使って脚本を書いて応募しよう」と思いたち、一気に書いた脚本で、最高賞をいただくことができました。

 脚本を書くのは初めてだったのになんとか書けたのは、おそらく、自分が女優として演じてきた蓄積があったから。自分の演じた脚本を読み返すと、構成とかセリフのやりとりとか、柱の立て方などのヒントが分かりますよね。演じてきたことがここで初めて書くことにも役立ったんです。

 これがきっかけとなって、「書く仕事」もするようになり、2年後から「BS週刊ブックレビュー」という番組に出るようになりました。


児玉清さんに出会えたのは人生の宝


 この番組に出始めてから飛躍的に読書量が増えました。1週間で本を4作読まなければならないんです。1作といっても上下巻もありますし、最高は19巻まであるものも(笑)。最初は番組スタッフから、全部読むのは大変だから無理しなくても大丈夫と言われたのですが、とてもじゃないけど読まないであの席には座れなかったですね。たとえ私が一言も発言できなかったとしても、そうそうたる書評ゲストや作者にお話を伺うのに、読まなければ参加資格がないと思っていました。

 でもそれがすごくいい経験になりました。本って普通は自分が選んで読むものですが、自分が選ばない本、しかも皆さんが今一押しだという本を読んで、司会の児玉清さんを中心にゲストの方とトークする。こんな貴重な機会はないですよね。

 この番組で児玉さんに出会えたというのも私の人生の宝です。作家の皆さんを、新人もベテランも関係ない、皆が「物語の神様」だとおっしゃっていて、その姿勢にも私は大変感化されました。ちょうど私も2作目の小説がなかなか書けなかったときに間接的に児玉さんが背中を押してくださり書いたことで、今の私があるとも思います。

 この番組を通して「本」というのが自分のライフワークだということに改めて気づき、文学を体系的に学ぶために通信制の大学にも通い始めて、40歳で卒業しました。


まだ自分には伸びしろがある


 今40代後半ですが、まだまだできていないことばかり、やりたいことばかりです。児玉さんが「人間は50から。そこから努力した人が伸びる」とおっしゃっていたのを、最近よく思い出します。もともとは画家の中川一政さんの言葉のようですが、たいがいの人は50になると先が見えて努力をやめてしまう、だからこそ努力した人が伸びると。

 小説もまだまだ書きたいし、最近、復活した歌手活動も極めたいし、楽器もやってみたい。まだ自分には伸びしろがあると信じています。