40歳、Rhマイナス、初産。

予定日超過で管理入院@広尾日赤。

入院4日目。

………

昨日、午後2時頃から本陣痛らしき陣痛が始まり、午後4時から本陣痛との診断で分娩室に移動。




それからは壮絶な戦いだった…。


痛みは下腹部から腰、腰から肛門、といった感じで広がり、下腹部、腰、肛門、骨盤が爆破される様な痛みだった。


痛みに耐えるには、いや、耐えられないんだけど、とにかく声の限り絶叫するしかなかった。


一晩中、助産師さんが背中をさすってくれた。
本当、救いの女神だと思った。


どんなに感謝しても感謝し尽くせない。

本当に大変で尊い仕事だと思う。



強い陣痛の度に子の脈が落ちてしまい、騒ぎになった。

どうやら臍の緒が首に一巻きしているらしい。



痛みはとても耐えられるレベルではないし、子の状態が危ういのなら、とっととカイザーにしてくれて構わない!!!


心の中でそう訴えていた。


しかし、カイザーはやはり最後の手段なのだろう。


居合わせた医師たちは、議論の末、もう少し頑張ってみよう、下からいけるかもしれない、と、もうちょっと経過をみることになった。


自前の陣痛は強度は増せど、7分間隔であることは変わらなかった。


それがなかなか進まない原因の一つになっているのだが、強い陣痛の際、子の脈が落ちてしまうので、誘発剤の使用も様子見になった。


間欠的な激しい痛みの中、子の脈が落ちない様に四つん這いになってみたり、お産が進む様に座位になってみたり、悶絶しながら様々な体勢をとった。


四つん這いが胎内環境には良い様で、モニターみる限り子の脈は落ち着いているようだった。

また、座位にすると、重力の影響でお産が進む印象だった。



そんなこんなで進ませながら、最終的に誘発剤であるオキシトシンの投与が始まった。


オキシトシンってそんな効くのか、というくらい、激しい陣痛があっという間に頻回に起こった。



頭の血管破れるんじゃないかと思うくらい、強烈な痛みだったけど、血圧は意外にも正常値。


あれよあれよとされるがままに、出産使用の台座に代わり、手で掴むグリップが設置され、お臍をみて長く一気にいきむように、力を抜く時は合図をするから、耳だけはこちらに傾ける様に、と指示された。


肛門が爆発するかというような強烈な痛み。

多分、脱糞も脱腸もしてただろう。

激しい痛みの度に助産師さんが肛門を押さえてくれた。


頭見えてる、あともうちょっと、と言われ、激しすぎる痛みと出る気配のなかった絶望感の中に希望の光ががさす。


会陰部に何か出てくるような感じはせず、むしろ、肛門から脱腸しちゃってる感の方が強かった。


様子は分からないけど、言われた通り、力の限りいきむしかない。

そのうち立ち合い医が呼ばれ、チクンと局所麻酔後、会陰切開された。

その直後、力の限りを振り絞っていきんだら、ドゥルンッ、と出てきたようだった。

必死過ぎて、そのでてきた感覚はよく分からなかった。


…快感だったという人の話を聞いたことがあったけど、そんな感覚を味わう余裕なんて全くなかった。

あまりに壮絶過ぎた。

お産ってこんなに大変なものなのか、と思い知った。



陣痛初来から20時間。
その痛みとの戦いは壮絶過ぎた。



本当、助産師さんにはいくら感謝してもし尽くせない。
居合わせた医師たちもモニターと経過に目を光らせて、的確な判断を都度してくれた。


正直、臍の緒が首に一巻きしてると聞いた時点でカイザーになるかと思っていた。


大変な思いはしたけど、経膣で出産することができた。

これは、ここでなければそう判断されることは難しかったと思う。

私がRhマイナスだから、経膣でねばったのかもしれない。(カイザーでは出血のリスクがある)



お産がこんな大変なものだとは思わなかった。



産んだあと、ケンカ中の母に電話し、泣きながら「産んでくれてありがとう」と言った。

こんな思いをして産んでくれたのかと思った。

いろいろあったけど、これじゃあ頭上がらないや。

母自体はその大変さを忘れてしまったかもしれないけれど、こんな大変な思いをして産んだことは事実なんだ。


人によりお産の大変さは違うだろうけど、痛くないことは絶対にない。

産みの痛みがこんなに壮絶だと思わなかった。