鶏の鳴き声で目が覚める。
あたりは深い霧のよう。まだ午前6時…二度寝する。
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午前7時、朝ご飯を頂く。
パンがやたら美味しい。
ラオスのパンは、かつてのフランス支配の影響もあるのだろうか、レベルが高い。

朝食後、特にやる事もないので、フランス人スタッフにマッサージを受けられるか聞いてみる。
昨日、フランス人夫婦がマッサージを受けていたようだし、リーさんも昨日、マッサージの話をしていた。
それが別料金なのか、込みなのか、突っ込んでは聞かなかったのだが。

川べりの開放的な小屋でマッサージを受ける。
マッサージってやっぱ気持ちいいわぁ〜、と、うとうとしながら、別料金なのか込みなのかが引っかかっている。
特に何も言われなかったから、多分込みなんだろうなー、と思いながらも、確信がもてなかったので、施術してくれた現地の人に英語と手振りで聞くが全く通じない様子。
よく分からんから、チップの意味も含め、10,000キープを渡す。
ロッジに戻りながらチップ130円は安すぎだったかなと思う。

貧乏性の私は、このツアーが値段に見合うものだったかどうか、ざっと計算する。
ここが日本であれば、1時間のマッサージも含めると安いくらいの金額だろう。

この地にとってはかなりの高額な$230はどれだけ現地に人に行き渡るんだろうか。あのフランス人スタッフとtravel agentにほとんどピンハネされてしまうんじゃないか。余計な心配をしてしまう。

フランス人夫婦はカムビレッジに2泊するとのことで、ルアンパバンに戻る船は一人貸切状態だった。

途中、パークウー洞窟に立ち寄る。
メコン川に面した断崖絶壁の洞窟に仏像が小指サイズの小さいものから2メートル近くの大きなものまでひしめき合っている。

日本でいう、百羅漢だ。
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階段を登っていくともう一つ洞窟がある。

入口で僅かなお布施でミニライトを貸してくれるが、私が入った時、ちょうど誰もいなくなってしまい、怖くて奥へ進めず、暗がりの中、人が来るのを待った。
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なんか写りこみそう…と思いながらも、ライト越しに写メを撮る。フラッシュたくのは嫌いなので、iPhoneの光調整にがんばってもらう。
オーブとかは写りこんでいないけど、一人この暗がりに取り残されるのは恐怖だわ。

ルアンパバンに到着し、リーさんとお別れする。
マジ、リーさんガイドの鑑だわ。常に笑顔を絶やさなかった。
しかも、ルアンパバンより田舎の出で、英語が堪能なんて優秀だなぁ。
顔が芸人のすぎちゃんに似てる感じだから、ラーオ族ではなく、山岳民族、おそらくカム族の出なんだろう。アジアの山岳民族の顔つきは民族によっては日本人のような顔をしている。


本によれば、ラオスを支配してきた列強は、ラオスに特に資源がないこともあって、インフラ整備をしてこなかった。その為、交通の便の悪く、山岳民族の教育は遅れてしまってるとのことだ。

山あいに僅かな人々が自給自足で暮らしている。
インフラ整備されなかったからこそ、この原風景が現代にあっても残され、人も動物も自然に近い状態で共存しているんだろう。


生活の豊かさは何か、問うたら、それはやはり先進国ばりの生活だろう。
自分は経済的に豊かな国に生まれ育ったから、経済的余力があり、このように、他の社会・文化を垣間見ることができる。

けれど、心の豊かさを問うたら、それは物質的な豊かさとは別ものなのかもしれない…南米のとある元大統領が言っていたように。

川遊びをする子ども達を見ているとそう思う。

けれども、大人になってくるとどうなんだろう?
もっと他の世界を知りたくなる。
世界を知るためには航空チケットを得るだけの経済的豊かさが必要だ。

突き詰めて考えると、心の豊かさ云々については、私にはよく分からなくなる。

何も変わらないいつもと同じ日常は、私は飽きてしまう。
それを打破するのに経済的豊かさは必要になる。

しかし、地球規模で考えると、地球環境を破壊しない持続可能な生活が理想というならば、まさにラオスの山あいに住む人々の生活だろう。
日本で言う、明治以前の生活だ。


ラオスの人々のサバーイな生活を眺めながら、複雑な心境になる。

外国資本が流入することでこの社会に格差が生じ、国内に不公平感が漂えば、このサバーイ感は失われ日本のようにギスギスした社会になってしまうかもしれない。
自然環境も破壊を免れないだろう。

それでも人々は物質的に豊かな生活を望む。
それは普通の欲求だ。
冷蔵庫、洗濯機、ガス台、車、スマフォがあれば、快適この上ない生活だし、世界も広がる。


ラオスは冷戦の舞台にされてしまっていた。
朝鮮半島のように国家の分断は免れたにせよ、その歴史を知ると悲しくなる。

列強の利権争いに翻弄され続けている。

この地球の人々の歴史ってのは常にそうゆうものなのかな。
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