興禅寺・梶原一族に続く第三弾です。

羽黒城跡と磨墨塚史跡公園へ行ってきました。

羽黒城跡は、興禅寺のすぐ北東の竹藪の中にあります。
竹藪の中にあるのは知っていますが、竹藪の中のどこにあるのかは知らないので、その昔遊び場にしていた父に連れていってもらいました。





城跡までは一応、道が作ってあります。
が、父に連れていってもらって正解でした合格
一人で中へ入って行く勇気はありませんひぃー
おまけに『ヘビへびに注意!!』と看板が…叫び
冬だから大丈夫だろうけど、気づかずに踏んづけそうですガーン

そして、10㍍ほど上ったところに『羽黒城跡』の碑がありました。
古墳時代後期の前方後円墳を利用しているそうです。





羽黒城は梶原景義が亡くなった後、秀吉が修復させ、山内一豊等に守らせたが、焼けてのち廃城になりました。


次は、竹藪の北側にある磨墨塚史跡公園へ。

公園には、こんなお馬さん馬の滑り台が作ってあります。




そんなお馬さんの西側に、ひっそりと塚があります。
景親が造ったと言われています。





ここには、隅の方(左側)と磨墨(影になって見辛いですが右側)が眠っています。

磨墨は今の岐阜県郡上市生まれの馬です。

郡上おどりの『春駒』の歌詞の中にも、『磨墨』が出てきます。

磨墨は、源頼朝から梶原景時に与えられました。

宇治川の合戦では、景時の子景季が乗って、佐々木高綱の乗る池月と先陣争いをしたことで有名だそうです。


今回は、歌舞伎→梶原景時→お寺(興禅寺)から、久しぶりにお寺へ行ってみようビックリマークと軽い気持ちから始まったのですが、自分で想像していた以上に歴史を感じることになりました。

歌舞伎や教科書に出てくる名前がたくさん出てきたことにもビックリ目でした。

でもとても興味深い歴史散策になりました。


また次も、車で20分位で行けるような、家の近くの歴史の場所へ行ってみようと思います。



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