こんにちは!
『徳川将軍家十五代のカルテ』という本を買ってみました。
今日の記事は15代目将軍の慶喜について
身長 不明
死因 急性肺炎
慶喜の位牌だけは将軍の菩提寺である大樹寺にはありません。
遺骨も寛永寺、増上寺にはありません。
慶喜本人が生前に明治天皇より爵位を授かったため仏式ではなく神式での葬儀を望んだためです。葬儀は寛永寺の裏の空き地で行われ、墓地は谷中にあります。
参考記事
8歳で軽症の疱瘡
そして水練でお腹が冷えて急性下痢症にかかり、脱水症状から死にかけたこともありました。
11歳で一橋家を相続
19歳で結婚
30歳で15代将軍に就任
31歳で鳥羽・伏見の戦いで負けたあと寛永寺に謹慎後、水戸に蟄居
32歳から61歳まで静岡に暮らし、それ以降は東京の水戸屋敷に住みました。
77歳で鼻風邪を引いたある日の翌日、
9男の誠に男爵位を授けるという吉報が宮中から届いて
嬉しくて堪らずに、風邪が治まらないのに皇居へ参内し感謝を繰り返し述べた後、帰宅してからもはしゃいでいました。
その二日後に高熱を出して、急性肺炎になり77歳で大往生しました。
慶喜には たくさんの側室がいましたが跡継ぎの長男たち3人を失ってから、子どもたちを丈夫に育てるために幼子を全て里子に出しました。他にも子女がたくさんいましたが早世する子が多かったようです。
慶喜には趣味もたくさんあり
絵画、囲碁、放鷹、写真、自転車、刺繍、投網を楽しみました。
健康に関する意識も大変に強く、
食事はもっぱら和食で魚を多く食べ、外出時にも弁当持参で外食はせず、
塩分を控えめにし
起床と就寝時間を厳守し、
気分が塞ぐときには、二木式呼吸法を加えた呼吸静坐法で心身を調整していました。
毎日1時間は屋敷内をウォーキングし
日課として大弓も150回射ることをしていました。
酒豪なのに晩年は飲酒も控えていました。
歴代将軍の中では一番長生きの慶喜でした。
年輩になってからの喜びすぎは、ついつい無理をしがちになるため、体に毒なのでしょうね。
慶喜のエピソードで一番面白かったのは、
寝込みの時の暗殺に備えて、夫人と側室の3人で寝る際には、「Y字」に布団を並べて不測の事態にも逃げ出せるように備えて寝ていたという話です。
(生前、幸いにも危険な事態は起きずに済みました)
次回は初代将軍の家康公について記事をあげる予定です。やっと将軍シリーズが終わりそう。
それでは、また
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— つぼとリンパの山本 (@RelaxYamamoto) 2022年6月1日
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